脳内垂れ流し能書き

アタマの中の一部分

「来る」を観た話。

どうも。

本当は「ヴェノム」を先に観たんですが、こっちのが語れる気がしたのでこっち先書きます。ヴェノムはまたいつか書きます多分

例によってネタバレはあるのでご了承を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、評価二分するのは正直わかります。

というのも、結構モヤモヤする終わらせ方というか、はっきり明示されず投げっぱなしジャーマンだから。

ただ、僕は割と好きです。答えがパッキリ明示されるのもいいですが、自分であれこれ考える余地があるのも好きなので。

たぶん評価低い人は、投げっぱなしジャーマンが嫌なんでしょう。しっかり責任とれと。

そもそも原作小説があるものを映像化しているので、原作を読んでから臨んだ人はまた違った視点がありますしね。

当方、原作未読なのでそういうフィルター無しに観ての感想です。ご理解ください。

 

〈好きな点〉

・視点が変わる

群像劇というか、視点の主が時間とともに移ろうのがよかったです、妻夫木聡編・黒木華編・岡田准一編って感じで。

最初の妻夫木聡編は、しばらく二人の結婚〜子供産まれて「何かが来る」までの回想に近いので「おいおい岡田准一出てこねぇじゃねぇか」とも思いましたが、しっかり「来て」からは物語が動き出して安心しました。

視点が変わることによって、民俗学者黒木華が浮気してたとか、浮かび上がる事実もありましたし。

・洒落怖的要素

これがでかいでしょうか。

前評判がツイッターで流れてきて、「『八尺様』とかそういうのが好きな人は好き」とあったのでそんな感じなのかなぁ、と思っていざ観たら本当にそんな感じでした。「リアル」とか、あとは「不安の種」のおちょなんさん的要素があるかなと。実害を及ぼしてくるけど、なんなのかよく分からない系。

結論として、「ぼぎわん(=劇中の来るやつ)」の正体は結局よくわかりません。いや、妻夫木聡演じてる役の地元に伝わるモノだということはわかるのですが、明確に提示されるわけではありません。

恐怖というのは「よく分からないから」恐怖なのだと個人的には思っていて、例えば人形がひとりでに動くだとか、誰もいない部屋から声がするだとか。

洒落怖でも「パンドラ」とか「リゾートバイト」とかは結局それらの正体は分からない(後日談の解説とかあるけど)まま終わりますが、上手くできてるなと。

だから「ぼぎわんはこれなんだ!」と解明されてしまうと、そこの面白みが死んでしまうわけです。

「なんなのかよく分からない、でも怖い」。

そういう点では「ホラー」と言っていいかなと。

ただ「ホラー」の定義って曖昧で、急に大きな音がしたらそりゃ誰だってビビりますし、劇中は割と大きな音でビビらせる系かなーという印象を持ったので、そういう面では「ホラー」といっていいのかなぁ…?と疑問に感じたり。個人的にはホラー:エンターテイメント=3:7ですね。エンターテイメントについては後述。

「おつかれさまでした」も入ってますね今思えば。

鏡叩き割って刃物閉まって水を用意して扉開けたら罠でした、てとこ。ただあれであんな凄惨な死に方するとは思いませんでした。普通にびっくりしました。

松たか子は完全に「寺生まれのTさん」でした。

最終的に「ぼぎわん」vs「寺生まれのTさん」の総力戦になるのですが、「覇ァ!!」てこんな感じなんだなと思いました(笑)

エンターテイメント要素はここかなぁ。というか中盤で松たか子出てきてからずっと「寺生まれのTさん」が脳内を支配していました。

松たか子が「来なさい!」と言ったあと出てこないので、最終的に「ぼぎわん」に勝ったのか、ちょっとイマイチ謎なんですがまあ窓からドシャーッとヘドロみたいなの出てきましたし勝ったのでしょう。(適当)

 

〈イマイチな点〉

・よくわからん

これは観る側の問題もありますが…

先ほどあんなに「ホラーはわかんない方がおもしろい!」とか言っといて、「結局ぼぎわんってなに?」となってしまいました。

おそらくこの映画の主題は、「人間の陰と陽」なんですよね。妻夫木聡と一見仲が良い民俗学者や後輩も、実は彼に対してよく思っていなかったりだとか。そういう思いを持っていたものも取り憑かれて死んでしまう…。

妻夫木聡の元に来たのは「サチ」という昔行方不明になった友達で、幼少期に「あんたにも迎えに来るぞ」的な事を言っているのですが、動機がわからない。

なんでサチは今頃になって妻夫木聡の元へ「来た」のか。

なんで周りの人間も取り憑かれて死ぬのか。

(負のエネルギーを得てる?)

なんで黒木華のところには母親の姿で「来た」のか。

多分他にもいろいろモヤっとポイントがあったと思うのですが、忘れました。とりあえず、これらがちょっと頭の中で整理しきれなかった。

娘の名前が「サチ」になったのはそういう因果で、それを依り代に周りの人間に影響を及ぼすというのは分かるのですが…かなりモヤモヤします。

最終的に岡田准一がサチのことを庇うのもわからん。

これあれですよね、最終的にサチは「ぼぎわん」から逃れることができたから、最後にオムライスの夢を見てるんですよね…?

原作を読むしかないのか。もしわかりやすく説明してくださる天才はいらっしゃったらぜひご一報を。

 

 

 

 

個人的な評価は5点満点中3.5点です。

今更ですがぼくは観た映画を個人的に点数を付けてメモしているので、今後こっちでもそうしようかと思ってます。

今月は映画2本観たし、書こうと思ってたこともあったんですが下書きに入れておくと書いた気になって忘れますね。ギリギリ今月も更新できたということで何卒。

 

良いお年を!

来年もよしなに。

遺憾の意表明と「大人」「子供」

早速「月一更新は絶対する」という目標を破ったポンコツです。おはようございます。

10月時間あったはずなんですけどねえ…なんででしょうねえ…むしろ11月のが時間ないんですけどねえ…

「先月の分と合わせて今月(or来月)は2回更新絶対します!」ということにしてもいいんですが、明文化してしまうと「あ〜また先月更新してねぇ。まあまとめてやればいいか」となってガンガン先延ばしする未来がみえるし、なにより過去の失態は、例えその後すごいことをして持ち直したとしても消えるわけではないので、ペースを戻すことに専念します。

後悔は抱えたまま生きていくしかないのだ。

 

このツイートを見てちょっと思ったこと。

https://twitter.com/kerutya/status/1064883548543377409?s=21

「兵器を前に男の子に戻ってしまったパパ」。

別に「兵器を前にしてはしゃぐとか不謹慎!!!!」とか、「戦争を助長するな!!!」ていうことじゃないです。

「男の子に戻ってしまった」という部分を見て。

カッコいいロボット、カッコいい武器、好きな芸能人、好きな映画、好きなバンドなど。

出会う時期にもよりますが、人っていうのはそういう自分の中の「ツボ」と遭遇した時に、初めてそれを体験した時に戻るものなのかなぁと。

 

で、大人になるってことは、決して子供心を忘れるだとか、内面的に子供が大人に成長するってことじゃなくて、「大人」と「子供」という両方のステータスを得ることなのかなと。

子供の時にはわからなかったことも「大人」のステータスを得ればそれも楽しめるようになり、大人になっても「子供」のころ好きだったものに出会えば子供心のまま楽しむことができる。

でも「子供」のままで生きていくのは大変だから、みんな「大人」のステータスを得て、「子供」を隠して、当たり障りなく生きていく。

よくボケてしまった老人とかが子供帰りするとかありますけど、それもやはり自己の中に「子供」というステータスが存在するからなんじゃないかなぁなんて思ったり。逆に子供らしくない子とかは、なんらかのきっかけで既に「大人」のステータスを得ていたりとか。

「子供の頃の、知らないことに対するワクワク感は大人になってから感じることはほとんどない」的な論、あるじゃないですか。

たしかに。でもそれって「子供の時に知らなかったことを知っているから」だと思うんですよ。今でも知らないことってたくさんあって、ぼくはそれを知るたびに「はぁ〜おもしろいなぁ〜」と思います。他の人もそう思うのでしょうけど。

「子供」を押し殺して生きるのではなく、たまに「子供」を自分から連れ出して生きていく。

そんな生き方がいいなぁと思う、「大人」になりきれない「子供」でした。

あ〜「ヴェノム」観たい。

先月のPV数が100超えたってマジですか!?

マジだよ。

どうもみなさんこんにちは。

タイトル通りです。やったぜ。

「100超えたぐらいで喜ぶとか底辺youtuberか」って感じですが、ただ素直に僕の駄文でも読んでくださる方がいるというのが嬉しいのです。これからもどうぞよしなに。よければ読者になってくれるとなお嬉しい。

これで終わっても味気ない上「こんなんで1ヶ月に一記事更新達成とか言うんじゃないだろうな?」と言われたら正論すぎてぐうの音も出ないので最近思ったことをば。

 

 

 

最近、簡単な詰将棋を解くようになりました。

元々将棋は興味があって、数年ぐらい前は友達とも素人将棋ながら指してたんですけど、僕めちゃくちゃ弱いんですよね。どのぐらいかっていうと、9割僕が負けるっていうぐらい。いや9.5割かもしれない。友達と一回、軽い将棋大会みたいなのに出たことあるんですけど、開始五分で自玉が詰むっていうファンタスティックな状況になったこともあります。そのぐらい下手くそです。

そんな下手な僕がなぜ今更詰将棋を解き始めるようになったかと言えば、ただまた「面白そうでやりたくなったから」という。

下手くそなりに毎日続けてると、最初は苦戦してヒント見ないと解けなかったような問題も、だんだんとある程度の手筋は見えるようになってきて、とても面白く感じます。「好きこそ物の上手なれ」を実感。それでもよく手詰まりますが。

 

人が動き始めるきっかけなんて、実はそう大したものではないと思ってます。僕なんかは常々「面白いかどうか」を行動原理にしてます。その行動は面白いか?その発言は面白いか?その考え方は面白いか?

ただ、僕の場合行動するまでのエネルギーが相当量必要なのでなかなか動き出さないのですが…。

それでも、なんとなく開いたこのブログも先月100pvを達成できたわけですし、小さいですが確実に進んでいます。

もしいまなにか、踏み出そうとしている人がいるならば、とりあえず一歩目踏みしめましょう。つまらなかったら戻ればいいんです、面白かったならやればいいんです。

 

 

 

イマイチ締まらないので最後に名言を。

「自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければなおいい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ。」(岡本太郎

 

 

名言っていいですよね。カッコいい。

ではまた!

今後の目標と導

たまーに訪れる波があって、その波に呑まれるとただでさえ考えすぎるタチなのに余計にいろんなことを考えてしまって勝手に落ち込むというめんどくさいものを抱えている。

こんなことを書くということは案の定その波に呑まれてしまったわけなのですが、誰かいい自身の持ち方とか知ってたら教えてください。

前にも記事に書いたんですけど、たまにどうしようもなくただただ叫びたくなる時があります。

脳内でそれはぐるぐると渦巻いて、でも行き場はなくて自分の身体を駆け巡り、その苦しさで心臓から千切れていきそうになる感覚。だれかカラオケとは違うフリーで叫べる土地とか解放してくれませんかね。まじで。通いつめますよ。

頭に澱んだ愚痴をちょっと吐き出したかったです。すみません。

 

さて、「今後の目標」についてですが、前にも散々言ってたんですが更新頻度について。最低目標として月1更新を目指したいと思います、映画感想やくっせぇ脳内垂れ流し問わず。アクセス数みると1日3つぐらいはあるみたいで、こんなブログの何を読んでるのか非常に気になるのですが、それならもう少し頑張ればアクセス数も増えるのか?という安直な考えです。こんなこと言ってもやらなかったら叩いてください。

「導」ってのは、なんかカッコ良い響きだったので適当につけました。すみません。ただ、「もっとおもしろく!」をテーマにしていこうと考えてます。あとは自らの過ちや経験などからなにか発信できたらなぁと。がんばりゅ!

ぼくが「サマーウォーズ」をこよなく愛する理由

お久しぶりです!夏ですね。暑いですね。天気悪いですね。早く秋が来て欲しいですね。

またしばらく放置してしまいました。映画観に行ったり借りたの観たりしたんでいろいろ書こうとしてたんですけど逃げてました。陳謝。

 

夏といえば、みなさんにとって「夏の代名詞」は一体なんでしょうか?

海?山?花火?祭り?かき氷?十人十色でしょうが、ぼくは夏といえば「サマーウォーズ」です。まんまですね。何を隠そうぼくは映画「サマーウォーズ」をこよなく愛する男なのです。その割にはDVD持ってませんけど。似非かよ。

金曜ロードショーで録画したのを何度も観ているのでなんとなくですが、同時にセリフが言えたりします。友人には「キモい」と言われます。否定できません。

さて、なぜぼくはそこまで「サマーウォーズ」が好きなのか?

好きなものに対して「なぜ好きなのか?」と問いかけるのは基本的に愚問だと思っているのですが、少しだけ深く考えを煮詰めたら、惹かれる理由が明確に見えて来ました。先ほどとはまた別の友人に「サマーウォーズは途中で飽きて観てない」と言われたこともあり、「サマーウォーズ」の魅力・ストーリーの本質を私なりに書き記したいと思った所存。

ネタバレしないように努めますが、そこら辺の感覚って人それぞれだと思うんで、「まっさらな状態で楽しみたい!」て人は一回閉じていただいて、観た状態でこの記事を読んでいろんな意見くださると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

まずはあらすじをば。

数学が得意な高校生、主人公ケンジ。彼は夏休み、学校一人気のナツキ先輩に「バイト」として、ナツキのひいおばあちゃんである栄の家、陣内家がある長野県上田市の田舎まで「将来お婿さんになる人」という設定で同伴することとなる。そんな中、生活に深く根ざした仮想空間である「OZ」にて大規模なトラブルが発生。ケンジは一時そのトラブルを引き起こした張本人という容疑をかけられるも、数学の才能を生かしこれを回避。そして、トラブルの原因となった人工知能「ラブマシーン」の開発者は、10年ぶりにアメリカから帰ってきた栄おばあちゃんの養子、侘助だった。世界を、そして陣内家を巻き込んでいくラブマシーン。陣内家とケンジくんの運命や如何にーーー。

 

こんな感じです。自分でまとめてみましたけどあらすじって難しいね!?どこまでネタバレしていいのかこれ。

公開当時、ぼくは「キングカズマ」が大好きでした。カッケェ。高身長ウサギヤベェ。と思いました。今も思ってます。このキングカズマも大活躍して迫力あるシーンもたくさんあります。とにかくカッコイイです。映画の元ネタは「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」というデジモンの1時間ないぐらいの映画なので、そういうバトルっぽさに惹かれたところもあります。

が、やはりこの映画の本質は監督の言う通り「家族の絆と信頼」と、「ケンジの成長譚」なんですよね。

 

冒頭、「あと少しで日本代表になれたのに」と落ち込むケンジ。彼はあと少しのところで数学オリンピックの代表を逃してしまったようです。さらに中盤、一悶着あった後にひいお婆ちゃんの栄おばあちゃんとの花札中、「ぼくはまだ、自分に自信が持てません」と言うシーン。

そう、彼は交際経験もなく知らない人に大勢で囲まれるのは苦手という、内気で「自分に自信が持てない」青年なのです。さらにこの映画内の時系列では、唯一の自信であった数学でもあと少しで代表を逃すという、少し落ち込んでるタイミングなんですよね。

しかし彼は物語が進むにつれ、だんだんと自分から行動を起こすようになっていきます。

その大元はOZの混乱の最中。OZの混乱が交通渋滞や誤通報などで現実世界へ影響している中、栄おばあちゃんは自らの人脈を駆使し、片っ端から関係各所に電話をかけます。励ましたり、叱ったり、口汚く罵りあったり…。その人脈は凄くて、一例を挙げると「オガタ」という人物に電話をかけてるのを聞いた翔太が「いまかけてたオガタって人、警視総監だぜ…」と呟くところ。

警視総監に電話掛けれて励ませるって陣内家凄くない!?てか栄おばあちゃんが凄すぎない!?

話を戻しますが、栄おばあちゃんがみんなを励ましてるのを聞いたケンジ君はその後、OZの世界一厳重な警護システムの2056桁のパスワードを解き、管理塔を解放します。

その後の栄おばあちゃんとの花札のシーンでは、「自分に自信がない」と述べたケンジ君に対し、「あんたならできる」と、昼間関係者にかけていた言葉と同じ言葉をかけます。ハッとするケンジですが、「今はただ、やってみます、としか言えません」と、自信を持てた様子はない。

そんな自信のないケンジ君は、翌日、陣内家で一大事が起こったのち、ラブマシーンと戦おうと提案。それは気の強い直美おばさんに「人んちに来て何馬鹿なこと言ってんのって言ってんの!」と一蹴されますが、その提案に同調した万助おじさん、太助おじさん、理一さん、そして佳主馬でラブマシーン退治に動き出します。

まずここなんです!ターニングポイント!

気の弱かったケンジ君が、「ラブマシーンは危険だ」と倒すことを提案し、気の強い直美おばさんに対して意見を引かなかった。

ケンジィィィィィィ!!!!!!

その後も、vsラブマシーンで翔太が馬鹿なせいで大ピンチになっても「まだ負けてない」と考えることをやめないケンジ君。そしてクライマックス、最も有名な「よろしくお願いしまあああああす!」に繋がるシーンですが、「ここにいたらヤバイ」となってからも、諦めないケンジ君。そのシーンは何度観ても鳥肌立ちます。思い出すだけで泣きそうになる。

最初は、ケンジのことを認めていなかった翔太。さらに容疑者になったり、「お子様は呑気にゲームかよ」と、佳主馬たちがやっていることをまるで理解しておらず殴られ、「お前が来てからロクなことがねぇ!」とケンジに八つ当たりする翔太が、ラブマシーンの痕跡を辿るうちに、現状を打開するために解かねばならない数学の問題と対峙。そこで「な…なんで」と動揺するケンジに対し、翔太は背中をバシッと叩き「シャンとしろ!俺たちがついてる」。

 

ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!

 

あの、ケンジ君を認めていなかった、馬鹿な翔太が!!!ここにいたら危ないのに!!!!「俺たちがついてる」って!!!!!!

 

取り乱しました。

この映画でキーワードになっているのは「あんたならできる」とか「俺たちがついてる」とか、人に対する信頼と絆の言葉なんですよね。

「諦めなさんな、諦めないことが肝心だよ」というのは栄おばあちゃんの言葉ですが、ケンジ君はこの言葉に突き動かされ、最後の最後まで諦めず、結果としてラブマシーンの思惑を全て壊したといっても過言ではありません。最後の最後でまたひ弱さを出しましたが、これを機に少しでも自信を持つようになったと断言できましょう。

長くなりましたが、題名に戻りますね。

ぼくが「サマーウォーズ」をこよなく愛する理由、それは「主人公が、数学という絶対的な自信を持つものを持っていること」、「自分に自信のない主人公が自信を持っていく物語」だからです。

隙自語になってしまいますが、ぼくは自分に自信がありません。絶対的な自信をもつものもなくはないですが、それで何か結果を得たこともありません。他人を基本信用していない節もあります。そんな人間が「あんたならできる」や「しゃんとしろ!俺たちがついてる」というシーンを観たら心にグサーーーーッとくるわけですよ。自分を信頼すること、他人を信用すること、それが大事だと痛感させてくれる「サマーウォーズ」、素晴らしい映画だと思います。だからぼくは、この映画が大好きです。

 

ぶっちゃけサマーウォーズ愛を語りたすぎて、あとセリフを言えるという自己顕示欲をさらけ出したくてこの記事を書いたところもありますが、このサマーウォーズ愛がみなさんに伝われば幸いです。さあ、この夏も「サマーウォーズ」!みなさんもセリフを覚えてぼくとアテレコしましょう!(しない)

あーえーっと

完全にミスりました。なんで本垢の方で呟く設定になっているのだ。

とりあえずリンク踏んで来てしまった方には極力忘れて欲しいのですが、億が一にも「お前の文章好きだよ!!!!未来永劫読みたい!!!!!」という方がいたら読み進めてください。

 

 

 

 

 

 

ご覧の通り、当ブログは完全に個人的な趣味趣向や妄想拗らせ圧倒的無駄記事を書いてます。そしてとてつもなく頻度が遅い(それはどうでもいい)。

映画の趣味が合う人だったり、他人の頭の中身を覗き込んでアレコレ言いたい方向けのブログだと勝手に自負しております。コソコソ書いてるのはただ単に小っ恥ずかしいからです。

まあミスって所在を明らかにしてしまった以上、オープンにして恥を全力で晒しながらやるのもアリかなと、前向きネガティブな気持ちも芽生えました。今。

読者登録してくれたら泣いて喜びます。何卒!

「神を信じれば救われる」?

お久しぶりです。

映画観に行ったりレンタルで借りたりして書き溜めてる記事とかあるんですけど忙しさやらなんやらで全然書けてません。書けよ。

また気ままに書いていこうと思うので存在が謎な読者の方々、よろしくお願いします。

タイトル見てもらえれば一目瞭然なんですけど、今回の記事は宗教的なことについて触れますので、その辺ご了承ください。特定の団体や、個人について書いたものではなく、傷つける意図もございません。

 

 

 

 

 

 

 

いつからだったか、「神」という存在について疑問に思うようになった。

別に家族や僕には宗教とあまり縁がなく、祖父が由緒ある宗教の信者だったぐらい。

元々物心ついたころから「神」という概念についてなんとなく理解はしていたけれど、存在しているかについては懐疑的だった、と思う。しかしながら腹痛の時やクラス替えの時などは、夜に布団の中で存在するかどうかもわからない「神」に都合のいいことを願っていたことをよく覚えている。

そんな「神」について疑問に思ったきっかけは覚えていないけれど、恐らくこのような謳い文句だった気がする。

「神を信じれば救われます!」

宗教問題とかすごくデリケートだしネットとか公の場で言うことではないのだろうけど、僕は新興宗教が苦手だ。信じるのは個人の自由なので全く問題ないのだが、「勧誘」というイメージが強い。そして僕は昔からすこし歪んでいた子供(だったよう)で、動画サイトで「某放送局撃退!」「架空請求業者撃退!」「家に来た勧誘撃退!」みたいな動画を見るような子供だった。

そもそも、「神を信じれば救われる」って、なんで信じない者は救われないのだろうか?「慈悲深い」というイメージがある神にしては、不寛容な気がする。まあ「救う」て単語が出てくるぐらいだから少なからず危機的状況なのだろうし、某世紀末漫画に出てくる悪役のような人間は救うに値しないだろうし、ある程度のふるいにかける、という意図は汲み取れる。

のだが。

逆によほど善良なことをしてきた人間が、神を信じなかっただけで救われないというのも腑に落ちない。それとも「善良な人間ならば必ず私を信じるはず」という論なのか?それも暴論だと思うが。

で。前述した「神を信じれば救われる」というのは、表現方法としてはちょっと間違っているのではないかなと。

「神を信じなければ救ってくれない」。

この方が本質を捉えていると思うんですよね。

そもそも僕は無神論者なんですが、仮に神がいるとするならば、「神は他人の不幸を笑って楽しむタイプ」だと思ってます。故に、陸上選手が足を奪われたり、配偶者と子供を残して病気で早くに亡くなってしまったり、といった出来事が起こるんじゃないかなと。

僕の好きな某漫画も「思い上がらぬよう、人に正しい絶望を与えるのが真理」だと言ってますしね。

「なぜ神はこんな酷いことをするのか」と考えるより、「神はそういう存在だ」と受け入れる方がダメージは少なくて済むんじゃないか、と思った話です。

 

 

 

 

Line newsの小林麻耶さんの記事を見て思ったことを少々。

冒頭でも書きましたが特定の団体や個人について書いたわけではなく、また誹謗中傷の意図も、信教の自由を否定しているわけでもありません。ご了承ください。

 

お腹空いたんで晩飯買ってきます。