脳内垂れ流し能書き

思ってることとか映画の感想とか。気ままに書いてます

太れない

今までの人生の中で、半分ぐらいは「太ってる方」に属していた。どちらかといえばですよ、あくまで。

それが部活入って運動したらみるみる痩せてガリガリになって、引退してちょっと戻って、一人暮らし始めて激ヤセして。今の僕は標準体重よりも痩せ気味です。

まだちょっと太ってる寄りだった時、あるイベントがきっかけで筋トレに目覚め、多少の筋肉はついたのですが、それから激ヤセしてしまったため、最近また「筋肉をつけたいなぁ」と思い始めたのですが、そもそも筋肉って肉が付いてないとできないんですよね。それで頑張って肉をつけようと思ってるんですけど、体重はずっと横ばい…。

食いトレって一番きついらしいんですよ。嫌だ。

「痩せれな〜い」ていう人もいるのでしょうが、太れないのも太れないでなかなか大変ですよ。

 

なんだこれ。

社会不適合よススメ

殴り書き。

人ってそれぞれ違うなぁと思ったのは、「単純労働で流れ作業」の方が好きな人と、「臨機応変な対応が求められる忙しい作業」の方が好きな人に分かれるということ。

僕は前者なのですが、そのことを友人に話したら「飽きないかどうかだね」と言われました。その人は単純作業だと飽きてしまうよう。

これって稼ぎ方に直結してると思うんですよ。「楽な仕事で必要な分だけ稼げればいい」というのも「激務で高収入」というもの。僕はお金が別にそれほどほしいとは思わないので、楽な仕事がいいなぁ。5000兆円はほしいです。

 

 

 

 

しばらく忙しくてロクに物書きできなかったから文章力がさらにゴミになっている。精進精進。

「about」をいじくりました

開設から一年経過して、このブログの方向性もようやくわかってきたので「about(このブログはなに。)」をいじりました。

ただそれだけ。

あとTwitterでは言いましたが、ブログデザインもいじりました。スマホからだとそこまで変わったわけではないですが、PCブラウザだとだいぶ変わってるはずです。

ねむい。

とりあえず何か書く

このままだとただの「映画感想ブログ」になってしまうため、本来の目的である「思うままに書くこと」をテーマに今回はダラダラ行こうと思います。

 

 

 

遥か昔、まだ恐竜がいた時代の話ですが、恥ずかしながら僕は某掲示板で小説を書いてました。今もまだあります。読めます。大元の掲示板が封鎖されてしまい、だいぶ過疎化してますけどね。

まぁ僕もまだ脳内で「エクソシストが剣でバケモノ退治を…!!」とか考えてた時代です。脳内では特集能力者がわんさかいました。そんな僕が書く小説はどんなものかーーーーーもうお察しでしょう。

更新はPCでしていたのですが、やがてそんなことをしてる暇がなくなり、厨二な小説の更新は止まりました。終盤はもう見切り発車な展開の連続で、風呂敷を畳めなくなっちゃったんですよね。

僕の小説人生はそこで止まっているのですが、ずっと「話の空想」とかは続いてました。授業中、ゲームしてる時、映画を観た時、本を読んだ時。なんの脈絡もなく、全然関係ない、なんの話なのかもわからない場面とかが思いつくんですよ。

でも、書くことは再開しませんでした。

僕の中で「書くこと」て、タイピングなんですね。それは多分厨二小説を書いてた頃の記憶というか習慣だからなんですけど、スマホでの入力でも手書きでもなく、タイピングなんです。そしてその頃には、家のPCはほとんど親父の仕事用になってて、家族はみんなスマホになっていたからです。わざわざPCを使う必要がなかった。

そのうち、将来を考え始めなければならない時期が来ました。どういう進路にするのか、何になりたいのか。その時にはもう「書くこと」を選択肢に入れませんでした。どうやら無意識のうちに封印していたようで。

成功するかもわからない、そもそもしばらく書いていない。書いていたのは脳内に能力者(笑)が住んでいた時の拙くサムいもの。なれるわけがない。

おそらくそう考えていたんですね。実際そうだから何も言えないのですが(笑)

でも、しばらくしてから「本当にこれでいいのか」と悩みが出て来たんですね。もっと他にやりたいことがあった気がすると。

そのことを身内に相談した時、「私の知人は、好きなことで生きて行く選択をした。実際、生きて行こうとすればバイトでもなんでもして生きていける」といわれ、なんだか許されたような気がしました。

無意識のうちに、自分の好きなことで生きて行こうとするのはいけないことだと思い込んでいました。身の程知らずで甘えていることだと。でも、必ずしもそれって「悪いこと」じゃないんですよね。だって自分の人生だから。やりたいことをやらずして誰がやるのかと。

だからといって、何もしないのは違うと。

ちゃんとした文章をロクに書いたことがない奴が「書くことを生業にしたい!」というのは「馬鹿かお前は」で終わってしまう。だからまずは、自分のやりたいことをやってみよう!

 

てことでこのブログが誕生しました。なぜか開設した理由を述べただけの記事になってしまいましたが、とりあえずここの根本は「書くこと」です。ただ、やはり「書くこと」が「タイピング」という固定概念があって、どうにもスマホだと書いてる実感がないので(それ甘えと言われてしまえばそれまでですが)、お金を貯めて持ち運びに適したPCかなんかを買おうかなーと考えております。そしたら本当にダラダラした記事が増えそうだな。

 

何事もまず、自分の力量を把握せねば。行動行動!

井の中のオタマジャクシがカエルに成らないうちに、さっさと外の世界へ出なければと思ったって話でした。うーんはやくうまい文章が書けるようになりたい。まずは書こう。

「亜人」を観た話。

いま観終わった直後なんですけど、ちょっと興奮冷めやりません。日本語あってるかな。

今言える感想としては、もうなんかやばいしか言えない。やばい。今の僕はIQ6です。やばい。これは観てない人に「どうだった?」と聞かれても「やばい」しか言えません。だってやばいから。

とりあえず何がやばいか書いていきます。例によってネタバレあり。あとなぜか「GANTZ:perfect answer」のネタバレもしてます。ご注意。ではGo。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・アクションがやばい!

予告編やCMでお分かりかと思いますが、アクション映画です。しっかりとアクションしててよい。迫力がすごいですね。黒いユーレイの動きがThe アクション て感じでスピード感あって好きです。

 

・収束の仕方がやばい!

僕あんまりアクション映画観ないんですけど、「亜人」は漫画を途中まで買ってたという理由で観に行きました。なんだかんだでいま手元にないので、何巻まで買ったか確認できず続きを止めていないのですが、しっかり買いたいと思います。関係ねぇなこれ。

話を戻しますね。で、なんであんまりアクション映画観ないかというと、オチがある程度予測できるから。アクション映画好きな方がいましたらすみません。観ててハラハラはするけれど「最終的には解決するんだな」という着地点はある程度わかるじゃないですか。だから僕が1番好きなのは「どんでん返し」とか「オチが予測不可能」なやつですね。そういう小説・漫画・映画が大好物です。これも関係ねぇな。

亜人」は原作未完(だよね…?)なので、オリジナルのラスト(だよね…?)。そもそも設定で「不死身」です。原作内では「生涯無力化する方法」的なのも出てましたけど、佐藤ほどの男がそんな方法で倒されると思えません。だって復活の間も無く殺され続けても、狙撃でSATが混乱した好きにどうにかして全滅させる男ですよ?いくら味方の協力があったといっても強すぎます。だから今回「亜人」に対しては、「オチが予測不可能」というよりは「どのように決着をつけるのか」に注目してました。(よく考えれば大差ないような…)

で、物語終盤。永井(佐藤健)と佐藤(綾野剛)のバトルですね、クライマックスです。VXガスを巡って2人とユーレイ2匹で大乱闘するわけですが、いやあまさか伏線があったとは。

 

VXガスを奪いにきたのは、佐藤を除く4人。「じゃあ佐藤は?」というと、その4人に自分の手を持たせ、体は粉砕機的な機械でバラバラにして死にます。亜人は死んだ後、1番大きいパーツを核に復活すると佐藤が説明。1番上にたどり着いた後、戦闘役の3人はファンから吹き込まれた永井の、亜人特有のモヤで視界を奪われ捉えられますが、そこで預けていた手から佐藤が復活、形勢逆転します。

ここの「手から復活」がまさか伏線になっていたとは。

 

終盤の乱闘の際、永井は手首を切断されながらも佐藤に麻酔薬を打ち込むことに成功します。勝ったかとおもいきや、佐藤のユーレイが佐藤に攻撃、リセット。

この場面の時、永井はリセットされた佐藤に向かって銃を撃ち尽くしてしまうのですが、「なんでお前もリセットしない!?!?」と疑問に思いました。永井はヘリポートの中央部で倒れこみ、右手も無く、彼が何体も出せたユーレイも出ず。万事休すかと思われた永井に近づく佐藤。すると上からきたのは対亜、佐藤の体に電流を流し、冷凍ガスで2人の体を凍らせ、そしてそれらは銃で粉々に砕かれました。

この後、戸崎とボディガード(川栄李奈)がその場に現れ、氷のかけらを回収する対亜。

永井との約束を破ってしまった戸崎だが、「こうするしか対亜を呼べなかった、こうするしかなかった」と述べる戸崎。

かなーーーーり長くすじを書きましたが、ここですよここ!永井もろとも佐藤を倒したかと思ったら、切り飛ばされた永井の右手!!!!!そこから復活する永井!!!!!そのまま飛び降りた永井のドアップで終わる映画!!!!!!

 

いやーたまんなかったですねこれ。まさに「どんでん返し」だと思います。最初、永井も粉々に砕かれた時、「GANTZ:perfect answer」と同じオチかなと思いました。自分を犠牲にして勝ちという。いやぁ気づかんかった。佐藤がどう攻めてくるか、で使われたトリックが永井復活の伏線にもなっていたとは。「ああああアーーーーーッッ!!!!!」てなりました。いやこれは本当にツボでした。

 

 

 

アクションシーンも大迫力、話運びも不自然な箇所はなく、かつ最後の最後に伏線回収。これは久々にドツボでした。今度ちゃんと漫画揃えたいと思います。

以上!こんなぐちゃぐちゃになってしまってすみません!

開設1年らしいよ。

9月中旬に開設1周年だったそうです。おめでとうございます俺。(遅い)

今のところ月1ぐらいのペースで映画の感想を中心に書いてるわけですが、もっと頻繁に更新しないとダメかなーとか思ったり。頻繁な更新を心がけ、気が向いたら僕の自己満思想などをもっと書こうかなと。

これからも何卒よろしくお願いします。

「三度目の殺人」を観た話。

お久しぶりです。ツイッターではちょいちょい呟くのですが、やはりブログ記事は一回気合い入れないとガーッと書けないですね。精進します。

三度目の殺人」を観てきました。公開から一週間のタイミングで観てきましたが、席が結構いっぱいでした。前日に「そして父になる」が放送された影響もあるのかな。かくゆう私もその1人ですが。(いや前から観たいと思ってましたよ。ホントに)

本当はもっと早くに記事を出す予定だったのですが、ちょっと分量がえげつなく多くなったのでかなり遅くなりましたァ!畜生

今回も相変わらずネタバレガンガンします。今回はかなり長いです。そして、予めお断りしますが、割と難解な映画だという前提です、一個人の解釈が入ります。また書き殴りに近いものなので、表現などが分かりづらい箇所もあると思います。考えが言語化できてまとまったら改変することもあろうかと思いますが、何卒。

ではいきまぁす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感想としては、難しい。が、タイトルが素晴らしい。て感じですかね。

多くを語れるほど是枝監督作品を観ているわけじゃないのですが、「そして父になる」の印象では、タイトルにしっかりと意味をつける方だと思っています。最終的にそこに着地するというか。今回はそれを踏まえ、「三度目の殺人」になにか意味があるのだろうと思いながら観てました。

上映後、いっぱいに埋まった席から聞こえてきたのは「難しい」。この映画、別に内容自体は単純なのですが、スッキリと消化されないんですね。三角が殺したのかどうか、そこがハッキリと明示されないように思えるんです。僕は明示されてはいると思いますが。

 

では、タイトルの意味の考察をば。

まず、冒頭で三角は30年前に殺人事件を起こしていることがわかります。これが「一度目」。

で、本作の大筋である殺人事件。広瀬すず(案の定役名を忘れた)の父親を殺した事件ですね。これが「二度目」。

「三度目」ですが、作中でハッキリと明示はされません。最後の最後まで、作中で発生していたのは二件だけです。

では、「三度目の殺人」とは何を指すのか。

僕は、「三角の死刑」がそれを指すと解釈しました。

 

まず、三角は逮捕されてから一貫して、殺人を認めていました。動機についての証言がコロコロ変わるぐらいで、裁判の争点は「強盗殺人か否か」的な感じだったかと。

しかし、裁判が始まり中盤、「自分は殺人を犯していない。河川敷にも行っていない」と自白を翻し、否認します。重盛はなんだかんだそれを信じる側へ周り、一方摂津ら他の弁護人は呆れてしまいます。突然自らの罪を否認し裁判官の心証は悪化、検事も裁判のやり直しを一度は主張しますが、「どうせ結論は変わらない」と、裁判の続行に同意しました。そしてそれは覆ることなく、三角には死刑判決が下される、と。

三角の行動は、一見すると訳がわからない、また摂津の言うように「死刑が現実として見えてきて、怖くなった」と言うものです。重盛は「(広瀬すず)が性的暴行を受けていたことなど、辛い証言をさせないためにわざと行った」と解釈しますが、三角は「もしそれが本当なら、私はいい人だ」とはぐらかし、答えを言いません。

否認したことで観客側も訳がわからなくなるのですが、答えは冒頭のシーンで解決されています。

三角は殺人を犯しています。でなければ、冒頭の河川敷のシーンが本当に何の意味も為さないからです。では、三角の容疑否認はなんだったのか?

 

それは、おそらく(広瀬すず)を庇うためではなく、「死刑を望んでいた」からだと思います。ひょっとしたら庇う意図もあったのかもしれませんが、おそらくそれはオマケであって、三角は死刑を実現させるために容疑否認したのではないでしょうか。

 

・なぜ死刑を望んだか?

作中で、「生まれてこない方が良かった人間がいるかどうか」という議論が発生します。満島真之介(役名を忘れた)は「そんな人間はいない」と、一方で重盛、三角は「命の選別は無差別に行われている、生まれてこない方が良かった人間は存在する」という主張。

三角が「父、母、妻は理不尽に死んだ」といったような発言をしていたように、恐らく三角は自身のことを「生まれてこない方が良かった人間」であると思っています。そんな彼は、30年前の「一度目」の時、死刑になってもおかしくないような罪でしたが、温情により死刑を免れます。その後、その判決を下した重盛パパ(橋爪功)は「死刑にしていれば、今回の事件(二度目)は起きなかった」と、この判決を後悔していることがわかります。

また、劇中の飼っていた鳥の話。三角は、1羽が病気になり、「もう生きられないから」と5羽を殺し(?)、残り1羽を逃がしました。5羽を埋めた理由に、「今更放たれても行きていけないでしょう」と述べる三角。しかし1羽放っています。これはどういうことか?

埋められた5羽は、「生まれてこなければよかった人間」の比喩なのではないかなと思います。故に殺され、埋められた。そして、放たれた1羽は、「生まれてこなければよかった」はずなのに、温情により死刑を免れ、出所した三角のことなのではないでしょうか。今更生き方もわからず、羽ばたく鳥。

ダラダラ書きましたが、死刑を望んだ理由としては「自分が『生まれてこない方が良かった側の人間』であり、30年前には死ぬことが叶わなかったから」だと、ここでは結論づけたいと思います。

 

・「誰が人を裁くのか」

終盤も終盤、三角の死刑判決が確定したあと、(広瀬すず)は重盛に対し「誰が人を裁くんですか?」と言った趣旨の発言をします。これにはどういった意図があったか?

前述の通り、(広瀬すず)は実父から性的暴行を受けていたようです。直接的な描写がないので断定はできませんが、証言をしたがっていたことや、母親(斉藤由貴)との会話のシーンにて、証言に関して「お父さんのこととか…」と、その事実を示唆するような発言をされていたことからも、恐らく事実です。

三角は、そんな(広瀬すず)を娘と重ねていたようで、2人は家に行ったり、誕生日を祝ったりと仲が良かった様子。

 

中盤、三角は重盛に対して、不思議な力を見せます。衝立で隔てられた面会室にて、衝立越しではありますが手を合わせると、誰も伝えていない「重盛の娘」について言及する三角。この力はこれっきりの登場でしたが、恐らく本当なのでしょう。三角はどうやら「手」から相手の内面をいくらか読み取れる力があるようです。(娘の年齢を細かく知らなかったところなんかで、本当にぼんやりとわかるのかなって感じ)

 

話を戻します。仲の良かった三角と(広瀬すず)は、事件が起こる年の2月(だったはず…)、誕生日である(広瀬すず)を河川敷に積もった雪でバースデーケーキを作り祝います。三角が重盛パパに宛てた手紙によれば、三角が手袋を片方、(広瀬すず)に貸してるんですね。

そこで三角の能力が使われたのではないでしょうか。手袋を返してもらった後、そこから(広瀬すず)が性的暴行受けている事実、もしくは殺意を読み取ったのではないかと、僕は考えます。

広瀬すず)が証言をすると重盛弁護士事務所に来た時も、「どのようにかはわからないが私の殺意が伝わった」と言っています。まあ、この論だとすぐに殺害を決行しなかったのが少し不自然にはなってしまうのですが…。

とにかく、(広瀬すず)からすれば、結果として三角が父を裁いた、ということになります。

しかし、三角は裁判の結果、国に裁かれてしまうこととなります。父を裁いてもらった(広瀬すず)としては腑に落ちない。故の「誰が人を裁くのか」という問いかけなのではないでしょうか。

 

・「一度目」「二度目」「三度目」の法則

かなりこじつけくさい解釈になってまいりました。

さて、「なんで死刑が『殺人』になるの?おかしくない?」と思う人もいるのではないでしょうか。ここでは自分なりに、「なぜ死刑が『三度目の殺人』に当てはまるのか」を説明したいと思います。

まず、僕の中では冒頭に述べたように

一度目→30年前の事件

二度目→今回の事件

三度目→三角の死刑

で理解しています。これらは、全て三角絡みなのは勿論のこと、他にも共通していることがあります。

それは「『生まれてこなければ良かった人間』が裁かれている」ということ。

 

まず一度目です。三角が初めて起こした事件ですね。詳細は忘れてしまいましたが、この地では炭鉱もなくなり、職にあぶれた人がたくさんいたと。そして、その足元をみたヤクザかなんかで人は困っていたと、そんな話があったと思います(違ったらごめんなさい)。三角は、そのヤクザかなんかを殺害、死刑は免れますが、死刑になってもおかしくない罪でありました。

この「一度目」、劇中の「生まれてこなければ良かった人間」というのは、「弱きを挫く」的な人間のことも含まれるのではないかなと。なんにせよ、「三角が『生まれてこなければ良かった人間』を裁いた」事件だといえると思うのです。というかそう仮定してください。じゃないとこの論が進みません。

「二度目」。言わずもがな「三角が(広瀬すず)の実父=『生まれてこなければ良かった人間』を裁いた」事件ですね。産地偽装に性的暴行など数え役満ですね。

さて「三度目」。これだけは「三角が裁いた」わけじゃありません。

事件と無関係な世間的に見れば、三角は人殺しを繰り返す『生まれてこなければ良かった人間』のはずです。30年前に温情で死刑を免れているにもかかわらず、再び殺人を犯し、しかも強盗殺人、裁判の中盤では容疑を一転して否認するような人間です。多くの人間が「なんて身勝手で非道なやつなのだ」と思っても不思議ではありません、むしろ当然です。

故に「国が三角(=生まれてこなければ良かった人間)を裁いた」わけです。

そしてその死刑は、前述のように「裁いてもらった側」からしたら、救世主を殺されるようなものでしょう。故に「殺人」の法則に当てはまるのではないかと。

 

・三角が「生まれてこなければよかった」と思っている理由

最後に、なぜ三角が自らを「生まれてこなければよかった」と思っているか、という個人的解釈をば。

 

この流れで見れば、世間的には「身勝手な人殺し」という印象ですが、彼に触れた者は必ずしもその印象で統一されているわけではありません。

広瀬すず)は救ってもらった側であって彼を救いたいと思っているし、また重盛も思想的には彼と通ずるところがあります。三角の人間性は残虐なわけではなく、むしろアパートの大家さんの証言からだと「穏やかな人間性」が浮かび上がってくると思います。

ではなぜ「生まれてこなければよかった」と思っているのか。

それは、三角自身の中身が「空っぽ」だからなのではないでしょうか。

ラスト、重盛との面会にて「あなたは『器』…?」と問いかけられる三角。また、一度目の事件の時も逮捕した警官が「なんか中身がない」的なことを言っていました。(言っていたはず、、、)

三角には恐らく、生きていく理由や意思がなかったのではないでしょうか。「そんな自分が生きていて、やり残したことがある親や妻は死んだ」という趣旨での「理不尽に死んだ」という発言なのかなと。空っぽで空虚な三角。そんな彼は、自分と同じような「生まれてこなければよかった人間」を裁くための「器」として生きていったのではないかな、と思います。(言語化できたらまたまとめます)

 

 

観終わってからも、考えれば考えるほど深く考察できるので、本当に面白い映画でした。久々に答えがはっきりと明示されない映画を観ましたが、こういうのが醍醐味ですね。

「私はこう考えた」「ここは違うだろ」というものがあればどんどんください。いろんな人と語り合えるのは楽しいです。

ではまた!