脳内垂れ流し能書き

アタマの中の一部分

あーえーっと

完全にミスりました。なんで本垢の方で呟く設定になっているのだ。

とりあえずリンク踏んで来てしまった方には極力忘れて欲しいのですが、億が一にも「お前の文章好きだよ!!!!未来永劫読みたい!!!!!」という方がいたら読み進めてください。

 

 

 

 

 

 

ご覧の通り、当ブログは完全に個人的な趣味趣向や妄想拗らせ圧倒的無駄記事を書いてます。そしてとてつもなく頻度が遅い(それはどうでもいい)。

映画の趣味が合う人だったり、他人の頭の中身を覗き込んでアレコレ言いたい方向けのブログだと勝手に自負しております。コソコソ書いてるのはただ単に小っ恥ずかしいからです。

まあミスって所在を明らかにしてしまった以上、オープンにして恥を全力で晒しながらやるのもアリかなと、前向きネガティブな気持ちも芽生えました。今。

読者登録してくれたら泣いて喜びます。何卒!

「神を信じれば救われる」?

お久しぶりです。

映画観に行ったりレンタルで借りたりして書き溜めてる記事とかあるんですけど忙しさやらなんやらで全然書けてません。書けよ。

また気ままに書いていこうと思うので存在が謎な読者の方々、よろしくお願いします。

タイトル見てもらえれば一目瞭然なんですけど、今回の記事は宗教的なことについて触れますので、その辺ご了承ください。特定の団体や、個人について書いたものではなく、傷つける意図もございません。

 

 

 

 

 

 

 

いつからだったか、「神」という存在について疑問に思うようになった。

別に家族や僕には宗教とあまり縁がなく、祖父が由緒ある宗教の信者だったぐらい。

元々物心ついたころから「神」という概念についてなんとなく理解はしていたけれど、存在しているかについては懐疑的だった、と思う。しかしながら腹痛の時やクラス替えの時などは、夜に布団の中で存在するかどうかもわからない「神」に都合のいいことを願っていたことをよく覚えている。

そんな「神」について疑問に思ったきっかけは覚えていないけれど、恐らくこのような謳い文句だった気がする。

「神を信じれば救われます!」

宗教問題とかすごくデリケートだしネットとか公の場で言うことではないのだろうけど、僕は新興宗教が苦手だ。信じるのは個人の自由なので全く問題ないのだが、「勧誘」というイメージが強い。そして僕は昔からすこし歪んでいた子供(だったよう)で、動画サイトで「某放送局撃退!」「架空請求業者撃退!」「家に来た勧誘撃退!」みたいな動画を見るような子供だった。

そもそも、「神を信じれば救われる」って、なんで信じない者は救われないのだろうか?「慈悲深い」というイメージがある神にしては、不寛容な気がする。まあ「救う」て単語が出てくるぐらいだから少なからず危機的状況なのだろうし、某世紀末漫画に出てくる悪役のような人間は救うに値しないだろうし、ある程度のふるいにかける、という意図は汲み取れる。

のだが。

逆によほど善良なことをしてきた人間が、神を信じなかっただけで救われないというのも腑に落ちない。それとも「善良な人間ならば必ず私を信じるはず」という論なのか?それも暴論だと思うが。

で。前述した「神を信じれば救われる」というのは、表現方法としてはちょっと間違っているのではないかなと。

「神を信じなければ救ってくれない」。

この方が本質を捉えていると思うんですよね。

そもそも僕は無神論者なんですが、仮に神がいるとするならば、「神は他人の不幸を笑って楽しむタイプ」だと思ってます。故に、陸上選手が足を奪われたり、配偶者と子供を残して病気で早くに亡くなってしまったり、といった出来事が起こるんじゃないかなと。

僕の好きな某漫画も「思い上がらぬよう、人に正しい絶望を与えるのが真理」だと言ってますしね。

「なぜ神はこんな酷いことをするのか」と考えるより、「神はそういう存在だ」と受け入れる方がダメージは少なくて済むんじゃないか、と思った話です。

 

 

 

 

Line newsの小林麻耶さんの記事を見て思ったことを少々。

冒頭でも書きましたが特定の団体や個人について書いたわけではなく、また誹謗中傷の意図も、信教の自由を否定しているわけでもありません。ご了承ください。

 

お腹空いたんで晩飯買ってきます。

確固たる意志

ちょっと色々とありまして。

ぼくに、ではないですけどそこそこ重大な。

そこでぼくはかなり自分が無力であることを思い知りまして。

それをきっかけに、といったら変なのですがやりたいことがパッキリと決まりました。

ここんところ将来に対して本当に漠然としか考えていなくて、かなり不安だったのですが、決めました。これは生まれてから初めてぼくが持つ「確固たる意志」かもしれません。

やるしかねぇ。

恥じない自分に。誇れる自分に。

これは自分に対する決意表明だ。

頑張る。

己が人生

ツイッターで流れて来たこの記事をみてちょっとインスパイアされました。

 

 

成績いいからって医学科来るな

 

 

 成績が良くても医学科を受験しないということ - 3RA57

 

 

 この記事はあくまで「小説」です。あしからず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくは大学生だ。大学生活が始まってからしばらくが経ち、しばしば思うことは「これがお前のやりたかったことなのか?」ということだ。

遡ること、ぼくが高校生だった頃。1年、2年の時なんかは大学受験のことなんか微塵も考えていなくて、ただ姉が現役合格した某有名私立大学の名前を第一志望に挙げて「姉貴には負けたくないから」と見栄を張っていた。さらに遡るがぼくが中学生だった時は、テスト勉強なんかせずとも学年10位前後には入っていて、高校受験もその成績で比較的楽に入れそうなところを選び、天狗になっていたと思う。高校入学直後にその鼻は見事にへし折られ、ノー勉で挑んだテストでは散々な結果すぎて多少泣いた。しかし、勉強する習慣などなかったぼくがそれで勉強を頑張ったなどということは全くなく、それは高校2年の終わり際まで続いた。

最初のテスト以降は別にかもなく不可もなく、中堅私立を第一志望にするような成績であった。

意識が変わり始めたのは、クラスメイトが部活を辞めたことだった。その人とは別に仲がいいってわけではなくて、人気のある部活でそこそこな活躍をしていた、ちょっと怖い感じの奴という印象だった。

そんなイケイケな奴が、部活を辞めたという話が広がり、そしてそいつは受験勉強を始めた。後に本人から聞いた話では、そいつの兄ないし姉が某有名私立大学生であったという。

ぼくはあまり活動してない部活でダラダラと高校生活を過ごしていたから、衝撃だった。授業中眠っていたり、部活で活躍してるような人物がしっかりと受験のことを考えていて2年の3学期ごろから真剣に勉強を始めたことが。

とりあえずぼくも、姉のお古である参考書やら単語帳やらを部屋から引っ張り出してやり始めた。まあ、そんなことをやるだけで成績が伸びたら苦労はしないわけで。むしろやればやるほどアラが目立つようになってきて、どこから手をつければいいかわからないような状態だということがわかった。

高3にあがって、模試の回数が増えた。しかし上半期は成績は全く振るわなかった。原因は明白だったので、できる範囲でその穴を埋める努力をした。ぼくはただただ暗記するだけなどといった勉強法は本当に苦痛だったので、できる限り自分が楽しく、そして覚えやすいように工夫してノートをとったり、作った。そのうち、一つの科目を友達に教えるようになったら、その教え方が評判だった。他クラスの友達が放課後ぼくのところに来たりと、ぼく自身非常に楽しく、タメになる経験ができた。そして高3も半分が終わったころ、ぼくは「教師になりたい」と思うようになった。非常に単純ではあるが、「教え方がおもしろい!」といった声が自分の原動力になっていた。

 

しかし、その夢を達成するには、今まで志望していた学科を変えるということだった。そしてそれは、必然的にレベルを上げることであった。

 

教師になりたいと思う以前は、単純に自分の興味がある分野を学べる学科を選んでいた。至極単純な理由だが、今までの経験からそうでないと勉強しないということは明白でもあった。結局ぼくは教師を志し、志望していた学科を変えた。一番色々学べそうであった某有名私立大学の学科は、後何ヶ月でどうにかできるレベルではないということ、また苦手な記述形式の試験であったということで第一志望から外し、その大学の中で一番偏差値の低い学科を選んだ。

その後センターで大爆死したりいろんな波乱があったのだが、ぼくは第三志望の大学に行くことになった。「こんな勉強漬けの生活をあと一年続けてまで第一志望に行きたいわけではない」というスタンスであり、とにかく浪人したくなかったという思いが強かったので、特に大きな不満もなくその大学を選択した。

 

しかし入学して2ヶ月弱経った日のこと。先生が教職の授業中に「この中には『いま第一志望を受験したら受かる』と思っている人もいるんじゃないですか?受験はその場で決まるから難しいですよね。仮面浪人してもいいと思いますよ」というような話をしていた。

仮面浪人。

考えたこともなかったその四文字。

ちょうどそのころ、思っていた勉強との乖離があり、思い悩んでいた時期であった。また、「教職を取りにきた」という動機だったことも影響し、そもそもその学科の学問分野を深く掘り下げるということもしてこなかったので、自分の中でどん詰まりになってしまった。

そんな中でふと投じられた一石が「仮面浪人」であった。もともとの目的が「教職」であったのだがそれはあくまでオマケである、と指摘されたあと、もともとやりたかった分野を思い出した。決して実用的ではないが、ぼくが好きであり頑張れる分野であると思った。

「仮面浪人を考えている」という話を姉に相談した。そしたら姉は、知り合いの話をしてくれて、その人は夢を追いかけながらもなんとかやっている、生活しようと思えば手段はいろいろある、という話をしてくれた。

恥ずかしながらぼくはその時号泣してしまった。

別に感動したとかじゃなくて、自分の中でいつのまにか無意識のうちに「安定した人生でなくてはならない」という縛りがあったのだと思う。その話は、そんな今までのぼくに対して「やりたいことをやっていいんだ」ということを伝えてくれたように思える。

その後親とも話し合いそこでも号泣したわけだが、ぼくは結局仮面浪人という選択肢を取らなかった。一番は「大変だから」。学費を自分で稼がなくてはならないという結論になり、また落ちた時のことも考えてフル単をしろという約束つきだったから、ということもある。ただ、その中で大きな要因だったのは「もったいなかったから」だった。たとえ今望まないことをやっていようが、ぼくの中では受かるとも思っていなかった学校で合格を勝ち取り、入れたのだからとりあえず学んでみようという気持ちになった。

その後ぼくは卒業単位分は見事フル単したものの、教職必修の科目を落としてしまった。いろんな人からの話で「絶対教師になる!という心意気がないなら、また教えるのが好き!というだけなら教師にはなるな」と聞き続け、「落としたらやめる」と決めていたので、教職は諦めた。

多少後悔はしている。だが、決してそのことでウジウジはしない。もし「やっぱり教師になりたい!」と思ったら、今度はちゃんと勉強して、第一志望の大学で学びたいと思っている。まあ、そのためには金を稼がなくてはならないわけだけど。もし、自分のやりたい分野が「やはりどうしてもやりたい!」と思ったら、その時はその学科を受けてやろうと思っている。

 

 

 

 

己が人生は己で切り拓くものだ。

やりたいことがあるなら、それをやろう。

就職がないだとか役に立たないだとか、外野がやいのやいの言おうが、そんなの勝手に言わせておけばいい。選択し、行動するのは自分自身だ。やりたいことから目を背けて、辛い思いをするのも君自身だ。どっちが後悔しないか?そんなのは分からないが、せめて少し先の君が「楽しい」と思えるような選択をしてあげよう。

 

 

センターまでもう1週間ないですね。ここで揺らいでる受験生はそう多くはないと思いますが、いると思います。ここまできたら腹括るしないです。

 

最後までやり抜いてください。

出し切ってください。

走り抜けてください。

悔いだけは残さないでください。

やりたいことを選んでください。

がんばれ。

何が悪いか?

早いもので年末ですね。今年何も成し遂げてなくて笑いました。

ちょっと思ったことを少しだけ。

 

 

 

「何が悪いか?」

高校生が学校内でゲームをしてたとか、何か悪いことをしたとき。

学校の先生はそれを怒ると思います。

でも、中にはダルそうにして「早く終わらせろよ」と思う生徒もいるでしょう。

ぼくは小心者だったんで怒られるようなことはほとんどしなかったんですが、職員室に呼ばれて怒られるような人ほど「だるー」て感じを持ってたような気がします。

でも、悪いことを「悪くない」と思ってやってる人ってあんまりいないと思うんですよね。

「何が悪いのかわかってる?」て聞いたら「これこれこういうこと」て答えるられるはず。

自分の中で「これが悪いこと」だという自覚があるなら、そんな長々と怒らなくていいと思うんですよね。

高校生って校則破りがちだと思うんですよ。ぼくも一回校内でスマホゲームやっててばっちり見られて没収されたことがあります。

が、ダメなことだったという自覚はあります。

「そこでしっかり叱ってやるのが大人だろ!」という意見はもちろんあるでしょう。そらそうだ。ぼくもそう思います。

ただ、暖簾に腕押しだとも思うんです。糠に釘ともいう。

何が悪いか分かってるんだな。悪いことだと分かってるならもうやるな。

それを言って、また同じようなことをやるようであればその時に怒ったほうが、効果的なんじゃないかなぁ。まあ犯罪とか万引きならアウトですが、校則で禁止されてることってほとんど自分の問題だと思うので、結局本人次第なのでは?

 

 

 

 

 という素人の意見。実際はもっとタチの悪いヤツが多いんだろうなぁ

あと、服装とか身だしなみ系は守るべきかなとは思います。「色付きのインナーはダメ」とかはよくわかりませんが。

 

良いお年を!

日常の中のアクマ

どうしようもなく叫びたくなる時がある。

それはとてもムカムカしているからだとか、好きな人に振られてだとか、そういうことではなく。

何かあったわけでない、ほんの何気無い日常の中での一瞬の衝動。

本当に誰もいないだだっ広い野原のような場所でただただ叫びたいのだ。

たぶんこれは「寂しい」という感情の部類なのだろうけど、僕の中では別に寂しいと思ったわけでもなく。深層心理的なものなのだと思う。

 

世の中というのは不条理で不平等で、しかしそれは決して逃げることができない、なんともし難いものな訳なのだけれど、なぜ逃げたくなるのだろうか。

いま、人間という生き物は高い知能を持って社会というものを形成し生活を送っているわけだけれど、やはり本能的にそういう生活が合っていないのではないだろうか。理性が発達しすぎた、というべきなのかもしれない。

無論、「だから国家転覆を起こそう」だとかそういう話ではないです。ただ、どうしようもない激流の中でふと冷静になると本能的な部分で拒否反応が起きて、衝動的な行動がしたくなるのかもしれないなぁ、と。

 

冬夜のベランダには魔物が潜んでおります。

太れない

今までの人生の中で、半分ぐらいは「太ってる方」に属していた。どちらかといえばですよ、あくまで。

それが部活入って運動したらみるみる痩せてガリガリになって、引退してちょっと戻って、一人暮らし始めて激ヤセして。今の僕は標準体重よりも痩せ気味です。

まだちょっと太ってる寄りだった時、あるイベントがきっかけで筋トレに目覚め、多少の筋肉はついたのですが、それから激ヤセしてしまったため、最近また「筋肉をつけたいなぁ」と思い始めたのですが、そもそも筋肉って肉が付いてないとできないんですよね。それで頑張って肉をつけようと思ってるんですけど、体重はずっと横ばい…。

食いトレって一番きついらしいんですよ。嫌だ。

「痩せれな〜い」ていう人もいるのでしょうが、太れないのも太れないでなかなか大変ですよ。

 

なんだこれ。