脳内垂れ流し能書き

アタマの中の一部分

「三度目の殺人」を観た話。

お久しぶりです。ツイッターではちょいちょい呟くのですが、やはりブログ記事は一回気合い入れないとガーッと書けないですね。精進します。

三度目の殺人」を観てきました。公開から一週間のタイミングで観てきましたが、席が結構いっぱいでした。前日に「そして父になる」が放送された影響もあるのかな。かくゆう私もその1人ですが。(いや前から観たいと思ってましたよ。ホントに)

本当はもっと早くに記事を出す予定だったのですが、ちょっと分量がえげつなく多くなったのでかなり遅くなりましたァ!畜生

今回も相変わらずネタバレガンガンします。今回はかなり長いです。そして、予めお断りしますが、割と難解な映画だという前提です、一個人の解釈が入ります。また書き殴りに近いものなので、表現などが分かりづらい箇所もあると思います。考えが言語化できてまとまったら改変することもあろうかと思いますが、何卒。

ではいきまぁす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感想としては、難しい。が、タイトルが素晴らしい。て感じですかね。

多くを語れるほど是枝監督作品を観ているわけじゃないのですが、「そして父になる」の印象では、タイトルにしっかりと意味をつける方だと思っています。最終的にそこに着地するというか。今回はそれを踏まえ、「三度目の殺人」になにか意味があるのだろうと思いながら観てました。

上映後、いっぱいに埋まった席から聞こえてきたのは「難しい」。この映画、別に内容自体は単純なのですが、スッキリと消化されないんですね。三角が殺したのかどうか、そこがハッキリと明示されないように思えるんです。僕は明示されてはいると思いますが。

 

では、タイトルの意味の考察をば。

まず、冒頭で三角は30年前に殺人事件を起こしていることがわかります。これが「一度目」。

で、本作の大筋である殺人事件。広瀬すず(案の定役名を忘れた)の父親を殺した事件ですね。これが「二度目」。

「三度目」ですが、作中でハッキリと明示はされません。最後の最後まで、作中で発生していたのは二件だけです。

では、「三度目の殺人」とは何を指すのか。

僕は、「三角の死刑」がそれを指すと解釈しました。

 

まず、三角は逮捕されてから一貫して、殺人を認めていました。動機についての証言がコロコロ変わるぐらいで、裁判の争点は「強盗殺人か否か」的な感じだったかと。

しかし、裁判が始まり中盤、「自分は殺人を犯していない。河川敷にも行っていない」と自白を翻し、否認します。重盛はなんだかんだそれを信じる側へ周り、一方摂津ら他の弁護人は呆れてしまいます。突然自らの罪を否認し裁判官の心証は悪化、検事も裁判のやり直しを一度は主張しますが、「どうせ結論は変わらない」と、裁判の続行に同意しました。そしてそれは覆ることなく、三角には死刑判決が下される、と。

三角の行動は、一見すると訳がわからない、また摂津の言うように「死刑が現実として見えてきて、怖くなった」と言うものです。重盛は「(広瀬すず)が性的暴行を受けていたことなど、辛い証言をさせないためにわざと行った」と解釈しますが、三角は「もしそれが本当なら、私はいい人だ」とはぐらかし、答えを言いません。

否認したことで観客側も訳がわからなくなるのですが、答えは冒頭のシーンで解決されています。

三角は殺人を犯しています。でなければ、冒頭の河川敷のシーンが本当に何の意味も為さないからです。では、三角の容疑否認はなんだったのか?

 

それは、おそらく(広瀬すず)を庇うためではなく、「死刑を望んでいた」からだと思います。ひょっとしたら庇う意図もあったのかもしれませんが、おそらくそれはオマケであって、三角は死刑を実現させるために容疑否認したのではないでしょうか。

 

・なぜ死刑を望んだか?

作中で、「生まれてこない方が良かった人間がいるかどうか」という議論が発生します。満島真之介(役名を忘れた)は「そんな人間はいない」と、一方で重盛、三角は「命の選別は無差別に行われている、生まれてこない方が良かった人間は存在する」という主張。

三角が「父、母、妻は理不尽に死んだ」といったような発言をしていたように、恐らく三角は自身のことを「生まれてこない方が良かった人間」であると思っています。そんな彼は、30年前の「一度目」の時、死刑になってもおかしくないような罪でしたが、温情により死刑を免れます。その後、その判決を下した重盛パパ(橋爪功)は「死刑にしていれば、今回の事件(二度目)は起きなかった」と、この判決を後悔していることがわかります。

また、劇中の飼っていた鳥の話。三角は、1羽が病気になり、「もう生きられないから」と5羽を殺し(?)、残り1羽を逃がしました。5羽を埋めた理由に、「今更放たれても行きていけないでしょう」と述べる三角。しかし1羽放っています。これはどういうことか?

埋められた5羽は、「生まれてこなければよかった人間」の比喩なのではないかなと思います。故に殺され、埋められた。そして、放たれた1羽は、「生まれてこなければよかった」はずなのに、温情により死刑を免れ、出所した三角のことなのではないでしょうか。今更生き方もわからず、羽ばたく鳥。

ダラダラ書きましたが、死刑を望んだ理由としては「自分が『生まれてこない方が良かった側の人間』であり、30年前には死ぬことが叶わなかったから」だと、ここでは結論づけたいと思います。

 

・「誰が人を裁くのか」

終盤も終盤、三角の死刑判決が確定したあと、(広瀬すず)は重盛に対し「誰が人を裁くんですか?」と言った趣旨の発言をします。これにはどういった意図があったか?

前述の通り、(広瀬すず)は実父から性的暴行を受けていたようです。直接的な描写がないので断定はできませんが、証言をしたがっていたことや、母親(斉藤由貴)との会話のシーンにて、証言に関して「お父さんのこととか…」と、その事実を示唆するような発言をされていたことからも、恐らく事実です。

三角は、そんな(広瀬すず)を娘と重ねていたようで、2人は家に行ったり、誕生日を祝ったりと仲が良かった様子。

 

中盤、三角は重盛に対して、不思議な力を見せます。衝立で隔てられた面会室にて、衝立越しではありますが手を合わせると、誰も伝えていない「重盛の娘」について言及する三角。この力はこれっきりの登場でしたが、恐らく本当なのでしょう。三角はどうやら「手」から相手の内面をいくらか読み取れる力があるようです。(娘の年齢を細かく知らなかったところなんかで、本当にぼんやりとわかるのかなって感じ)

 

話を戻します。仲の良かった三角と(広瀬すず)は、事件が起こる年の2月(だったはず…)、誕生日である(広瀬すず)を河川敷に積もった雪でバースデーケーキを作り祝います。三角が重盛パパに宛てた手紙によれば、三角が手袋を片方、(広瀬すず)に貸してるんですね。

そこで三角の能力が使われたのではないでしょうか。手袋を返してもらった後、そこから(広瀬すず)が性的暴行受けている事実、もしくは殺意を読み取ったのではないかと、僕は考えます。

広瀬すず)が証言をすると重盛弁護士事務所に来た時も、「どのようにかはわからないが私の殺意が伝わった」と言っています。まあ、この論だとすぐに殺害を決行しなかったのが少し不自然にはなってしまうのですが…。

とにかく、(広瀬すず)からすれば、結果として三角が父を裁いた、ということになります。

しかし、三角は裁判の結果、国に裁かれてしまうこととなります。父を裁いてもらった(広瀬すず)としては腑に落ちない。故の「誰が人を裁くのか」という問いかけなのではないでしょうか。

 

・「一度目」「二度目」「三度目」の法則

かなりこじつけくさい解釈になってまいりました。

さて、「なんで死刑が『殺人』になるの?おかしくない?」と思う人もいるのではないでしょうか。ここでは自分なりに、「なぜ死刑が『三度目の殺人』に当てはまるのか」を説明したいと思います。

まず、僕の中では冒頭に述べたように

一度目→30年前の事件

二度目→今回の事件

三度目→三角の死刑

で理解しています。これらは、全て三角絡みなのは勿論のこと、他にも共通していることがあります。

それは「『生まれてこなければ良かった人間』が裁かれている」ということ。

 

まず一度目です。三角が初めて起こした事件ですね。詳細は忘れてしまいましたが、この地では炭鉱もなくなり、職にあぶれた人がたくさんいたと。そして、その足元をみたヤクザかなんかで人は困っていたと、そんな話があったと思います(違ったらごめんなさい)。三角は、そのヤクザかなんかを殺害、死刑は免れますが、死刑になってもおかしくない罪でありました。

この「一度目」、劇中の「生まれてこなければ良かった人間」というのは、「弱きを挫く」的な人間のことも含まれるのではないかなと。なんにせよ、「三角が『生まれてこなければ良かった人間』を裁いた」事件だといえると思うのです。というかそう仮定してください。じゃないとこの論が進みません。

「二度目」。言わずもがな「三角が(広瀬すず)の実父=『生まれてこなければ良かった人間』を裁いた」事件ですね。産地偽装に性的暴行など数え役満ですね。

さて「三度目」。これだけは「三角が裁いた」わけじゃありません。

事件と無関係な世間的に見れば、三角は人殺しを繰り返す『生まれてこなければ良かった人間』のはずです。30年前に温情で死刑を免れているにもかかわらず、再び殺人を犯し、しかも強盗殺人、裁判の中盤では容疑を一転して否認するような人間です。多くの人間が「なんて身勝手で非道なやつなのだ」と思っても不思議ではありません、むしろ当然です。

故に「国が三角(=生まれてこなければ良かった人間)を裁いた」わけです。

そしてその死刑は、前述のように「裁いてもらった側」からしたら、救世主を殺されるようなものでしょう。故に「殺人」の法則に当てはまるのではないかと。

 

・三角が「生まれてこなければよかった」と思っている理由

最後に、なぜ三角が自らを「生まれてこなければよかった」と思っているか、という個人的解釈をば。

 

この流れで見れば、世間的には「身勝手な人殺し」という印象ですが、彼に触れた者は必ずしもその印象で統一されているわけではありません。

広瀬すず)は救ってもらった側であって彼を救いたいと思っているし、また重盛も思想的には彼と通ずるところがあります。三角の人間性は残虐なわけではなく、むしろアパートの大家さんの証言からだと「穏やかな人間性」が浮かび上がってくると思います。

ではなぜ「生まれてこなければよかった」と思っているのか。

それは、三角自身の中身が「空っぽ」だからなのではないでしょうか。

ラスト、重盛との面会にて「あなたは『器』…?」と問いかけられる三角。また、一度目の事件の時も逮捕した警官が「なんか中身がない」的なことを言っていました。(言っていたはず、、、)

三角には恐らく、生きていく理由や意思がなかったのではないでしょうか。「そんな自分が生きていて、やり残したことがある親や妻は死んだ」という趣旨での「理不尽に死んだ」という発言なのかなと。空っぽで空虚な三角。そんな彼は、自分と同じような「生まれてこなければよかった人間」を裁くための「器」として生きていったのではないかな、と思います。(言語化できたらまたまとめます)

 

 

観終わってからも、考えれば考えるほど深く考察できるので、本当に面白い映画でした。久々に答えがはっきりと明示されない映画を観ましたが、こういうのが醍醐味ですね。

「私はこう考えた」「ここは違うだろ」というものがあればどんどんください。いろんな人と語り合えるのは楽しいです。

ではまた!