脳内垂れ流し能書き

アタマの中の一部分

己が人生

ツイッターで流れて来たこの記事をみてちょっとインスパイアされました。

 

 

成績いいからって医学科来るな

 

 

 成績が良くても医学科を受験しないということ - 3RA57

 

 

 この記事はあくまで「小説」です。あしからず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくは大学生だ。大学生活が始まってからしばらくが経ち、しばしば思うことは「これがお前のやりたかったことなのか?」ということだ。

遡ること、ぼくが高校生だった頃。1年、2年の時なんかは大学受験のことなんか微塵も考えていなくて、ただ姉が現役合格した某有名私立大学の名前を第一志望に挙げて「姉貴には負けたくないから」と見栄を張っていた。さらに遡るがぼくが中学生だった時は、テスト勉強なんかせずとも学年10位前後には入っていて、高校受験もその成績で比較的楽に入れそうなところを選び、天狗になっていたと思う。高校入学直後にその鼻は見事にへし折られ、ノー勉で挑んだテストでは散々な結果すぎて多少泣いた。しかし、勉強する習慣などなかったぼくがそれで勉強を頑張ったなどということは全くなく、それは高校2年の終わり際まで続いた。

最初のテスト以降は別にかもなく不可もなく、中堅私立を第一志望にするような成績であった。

意識が変わり始めたのは、クラスメイトが部活を辞めたことだった。その人とは別に仲がいいってわけではなくて、人気のある部活でそこそこな活躍をしていた、ちょっと怖い感じの奴という印象だった。

そんなイケイケな奴が、部活を辞めたという話が広がり、そしてそいつは受験勉強を始めた。後に本人から聞いた話では、そいつの兄ないし姉が某有名私立大学生であったという。

ぼくはあまり活動してない部活でダラダラと高校生活を過ごしていたから、衝撃だった。授業中眠っていたり、部活で活躍してるような人物がしっかりと受験のことを考えていて2年の3学期ごろから真剣に勉強を始めたことが。

とりあえずぼくも、姉のお古である参考書やら単語帳やらを部屋から引っ張り出してやり始めた。まあ、そんなことをやるだけで成績が伸びたら苦労はしないわけで。むしろやればやるほどアラが目立つようになってきて、どこから手をつければいいかわからないような状態だということがわかった。

高3にあがって、模試の回数が増えた。しかし上半期は成績は全く振るわなかった。原因は明白だったので、できる範囲でその穴を埋める努力をした。ぼくはただただ暗記するだけなどといった勉強法は本当に苦痛だったので、できる限り自分が楽しく、そして覚えやすいように工夫してノートをとったり、作った。そのうち、一つの科目を友達に教えるようになったら、その教え方が評判だった。他クラスの友達が放課後ぼくのところに来たりと、ぼく自身非常に楽しく、タメになる経験ができた。そして高3も半分が終わったころ、ぼくは「教師になりたい」と思うようになった。非常に単純ではあるが、「教え方がおもしろい!」といった声が自分の原動力になっていた。

 

しかし、その夢を達成するには、今まで志望していた学科を変えるということだった。そしてそれは、必然的にレベルを上げることであった。

 

教師になりたいと思う以前は、単純に自分の興味がある分野を学べる学科を選んでいた。至極単純な理由だが、今までの経験からそうでないと勉強しないということは明白でもあった。結局ぼくは教師を志し、志望していた学科を変えた。一番色々学べそうであった某有名私立大学の学科は、後何ヶ月でどうにかできるレベルではないということ、また苦手な記述形式の試験であったということで第一志望から外し、その大学の中で一番偏差値の低い学科を選んだ。

その後センターで大爆死したりいろんな波乱があったのだが、ぼくは第三志望の大学に行くことになった。「こんな勉強漬けの生活をあと一年続けてまで第一志望に行きたいわけではない」というスタンスであり、とにかく浪人したくなかったという思いが強かったので、特に大きな不満もなくその大学を選択した。

 

しかし入学して2ヶ月弱経った日のこと。先生が教職の授業中に「この中には『いま第一志望を受験したら受かる』と思っている人もいるんじゃないですか?受験はその場で決まるから難しいですよね。仮面浪人してもいいと思いますよ」というような話をしていた。

仮面浪人。

考えたこともなかったその四文字。

ちょうどそのころ、思っていた勉強との乖離があり、思い悩んでいた時期であった。また、「教職を取りにきた」という動機だったことも影響し、そもそもその学科の学問分野を深く掘り下げるということもしてこなかったので、自分の中でどん詰まりになってしまった。

そんな中でふと投じられた一石が「仮面浪人」であった。もともとの目的が「教職」であったのだがそれはあくまでオマケである、と指摘されたあと、もともとやりたかった分野を思い出した。決して実用的ではないが、ぼくが好きであり頑張れる分野であると思った。

「仮面浪人を考えている」という話を姉に相談した。そしたら姉は、知り合いの話をしてくれて、その人は夢を追いかけながらもなんとかやっている、生活しようと思えば手段はいろいろある、という話をしてくれた。

恥ずかしながらぼくはその時号泣してしまった。

別に感動したとかじゃなくて、自分の中でいつのまにか無意識のうちに「安定した人生でなくてはならない」という縛りがあったのだと思う。その話は、そんな今までのぼくに対して「やりたいことをやっていいんだ」ということを伝えてくれたように思える。

その後親とも話し合いそこでも号泣したわけだが、ぼくは結局仮面浪人という選択肢を取らなかった。一番は「大変だから」。学費を自分で稼がなくてはならないという結論になり、また落ちた時のことも考えてフル単をしろという約束つきだったから、ということもある。ただ、その中で大きな要因だったのは「もったいなかったから」だった。たとえ今望まないことをやっていようが、ぼくの中では受かるとも思っていなかった学校で合格を勝ち取り、入れたのだからとりあえず学んでみようという気持ちになった。

その後ぼくは卒業単位分は見事フル単したものの、教職必修の科目を落としてしまった。いろんな人からの話で「絶対教師になる!という心意気がないなら、また教えるのが好き!というだけなら教師にはなるな」と聞き続け、「落としたらやめる」と決めていたので、教職は諦めた。

多少後悔はしている。だが、決してそのことでウジウジはしない。もし「やっぱり教師になりたい!」と思ったら、今度はちゃんと勉強して、第一志望の大学で学びたいと思っている。まあ、そのためには金を稼がなくてはならないわけだけど。もし、自分のやりたい分野が「やはりどうしてもやりたい!」と思ったら、その時はその学科を受けてやろうと思っている。

 

 

 

 

己が人生は己で切り拓くものだ。

やりたいことがあるなら、それをやろう。

就職がないだとか役に立たないだとか、外野がやいのやいの言おうが、そんなの勝手に言わせておけばいい。選択し、行動するのは自分自身だ。やりたいことから目を背けて、辛い思いをするのも君自身だ。どっちが後悔しないか?そんなのは分からないが、せめて少し先の君が「楽しい」と思えるような選択をしてあげよう。

 

 

センターまでもう1週間ないですね。ここで揺らいでる受験生はそう多くはないと思いますが、いると思います。ここまできたら腹括るしないです。

 

最後までやり抜いてください。

出し切ってください。

走り抜けてください。

悔いだけは残さないでください。

やりたいことを選んでください。

がんばれ。