脳内垂れ流し能書き

アタマの中の一部分

遺憾の意表明と「大人」「子供」

早速「月一更新は絶対する」という目標を破ったポンコツです。おはようございます。

10月時間あったはずなんですけどねえ…なんででしょうねえ…むしろ11月のが時間ないんですけどねえ…

「先月の分と合わせて今月(or来月)は2回更新絶対します!」ということにしてもいいんですが、明文化してしまうと「あ〜また先月更新してねぇ。まあまとめてやればいいか」となってガンガン先延ばしする未来がみえるし、なにより過去の失態は、例えその後すごいことをして持ち直したとしても消えるわけではないので、ペースを戻すことに専念します。

後悔は抱えたまま生きていくしかないのだ。

 

このツイートを見てちょっと思ったこと。

https://twitter.com/kerutya/status/1064883548543377409?s=21

「兵器を前に男の子に戻ってしまったパパ」。

別に「兵器を前にしてはしゃぐとか不謹慎!!!!」とか、「戦争を助長するな!!!」ていうことじゃないです。

「男の子に戻ってしまった」という部分を見て。

カッコいいロボット、カッコいい武器、好きな芸能人、好きな映画、好きなバンドなど。

出会う時期にもよりますが、人っていうのはそういう自分の中の「ツボ」と遭遇した時に、初めてそれを体験した時に戻るものなのかなぁと。

 

で、大人になるってことは、決して子供心を忘れるだとか、内面的に子供が大人に成長するってことじゃなくて、「大人」と「子供」という両方のステータスを得ることなのかなと。

子供の時にはわからなかったことも「大人」のステータスを得ればそれも楽しめるようになり、大人になっても「子供」のころ好きだったものに出会えば子供心のまま楽しむことができる。

でも「子供」のままで生きていくのは大変だから、みんな「大人」のステータスを得て、「子供」を隠して、当たり障りなく生きていく。

よくボケてしまった老人とかが子供帰りするとかありますけど、それもやはり自己の中に「子供」というステータスが存在するからなんじゃないかなぁなんて思ったり。逆に子供らしくない子とかは、なんらかのきっかけで既に「大人」のステータスを得ていたりとか。

「子供の頃の、知らないことに対するワクワク感は大人になってから感じることはほとんどない」的な論、あるじゃないですか。

たしかに。でもそれって「子供の時に知らなかったことを知っているから」だと思うんですよ。今でも知らないことってたくさんあって、ぼくはそれを知るたびに「はぁ〜おもしろいなぁ〜」と思います。他の人もそう思うのでしょうけど。

「子供」を押し殺して生きるのではなく、たまに「子供」を自分から連れ出して生きていく。

そんな生き方がいいなぁと思う、「大人」になりきれない「子供」でした。

あ〜「ヴェノム」観たい。