脳内垂れ流し能書き

アタマの中の一部分

「三度目の殺人」を観た話。

お久しぶりです。ツイッターではちょいちょい呟くのですが、やはりブログ記事は一回気合い入れないとガーッと書けないですね。精進します。

三度目の殺人」を観てきました。公開から一週間のタイミングで観てきましたが、席が結構いっぱいでした。前日に「そして父になる」が放送された影響もあるのかな。かくゆう私もその1人ですが。(いや前から観たいと思ってましたよ。ホントに)

本当はもっと早くに記事を出す予定だったのですが、ちょっと分量がえげつなく多くなったのでかなり遅くなりましたァ!畜生

今回も相変わらずネタバレガンガンします。今回はかなり長いです。そして、予めお断りしますが、割と難解な映画だという前提です、一個人の解釈が入ります。また書き殴りに近いものなので、表現などが分かりづらい箇所もあると思います。考えが言語化できてまとまったら改変することもあろうかと思いますが、何卒。

ではいきまぁす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感想としては、難しい。が、タイトルが素晴らしい。て感じですかね。

多くを語れるほど是枝監督作品を観ているわけじゃないのですが、「そして父になる」の印象では、タイトルにしっかりと意味をつける方だと思っています。最終的にそこに着地するというか。今回はそれを踏まえ、「三度目の殺人」になにか意味があるのだろうと思いながら観てました。

上映後、いっぱいに埋まった席から聞こえてきたのは「難しい」。この映画、別に内容自体は単純なのですが、スッキリと消化されないんですね。三角が殺したのかどうか、そこがハッキリと明示されないように思えるんです。僕は明示されてはいると思いますが。

 

では、タイトルの意味の考察をば。

まず、冒頭で三角は30年前に殺人事件を起こしていることがわかります。これが「一度目」。

で、本作の大筋である殺人事件。広瀬すず(案の定役名を忘れた)の父親を殺した事件ですね。これが「二度目」。

「三度目」ですが、作中でハッキリと明示はされません。最後の最後まで、作中で発生していたのは二件だけです。

では、「三度目の殺人」とは何を指すのか。

僕は、「三角の死刑」がそれを指すと解釈しました。

 

まず、三角は逮捕されてから一貫して、殺人を認めていました。動機についての証言がコロコロ変わるぐらいで、裁判の争点は「強盗殺人か否か」的な感じだったかと。

しかし、裁判が始まり中盤、「自分は殺人を犯していない。河川敷にも行っていない」と自白を翻し、否認します。重盛はなんだかんだそれを信じる側へ周り、一方摂津ら他の弁護人は呆れてしまいます。突然自らの罪を否認し裁判官の心証は悪化、検事も裁判のやり直しを一度は主張しますが、「どうせ結論は変わらない」と、裁判の続行に同意しました。そしてそれは覆ることなく、三角には死刑判決が下される、と。

三角の行動は、一見すると訳がわからない、また摂津の言うように「死刑が現実として見えてきて、怖くなった」と言うものです。重盛は「(広瀬すず)が性的暴行を受けていたことなど、辛い証言をさせないためにわざと行った」と解釈しますが、三角は「もしそれが本当なら、私はいい人だ」とはぐらかし、答えを言いません。

否認したことで観客側も訳がわからなくなるのですが、答えは冒頭のシーンで解決されています。

三角は殺人を犯しています。でなければ、冒頭の河川敷のシーンが本当に何の意味も為さないからです。では、三角の容疑否認はなんだったのか?

 

それは、おそらく(広瀬すず)を庇うためではなく、「死刑を望んでいた」からだと思います。ひょっとしたら庇う意図もあったのかもしれませんが、おそらくそれはオマケであって、三角は死刑を実現させるために容疑否認したのではないでしょうか。

 

・なぜ死刑を望んだか?

作中で、「生まれてこない方が良かった人間がいるかどうか」という議論が発生します。満島真之介(役名を忘れた)は「そんな人間はいない」と、一方で重盛、三角は「命の選別は無差別に行われている、生まれてこない方が良かった人間は存在する」という主張。

三角が「父、母、妻は理不尽に死んだ」といったような発言をしていたように、恐らく三角は自身のことを「生まれてこない方が良かった人間」であると思っています。そんな彼は、30年前の「一度目」の時、死刑になってもおかしくないような罪でしたが、温情により死刑を免れます。その後、その判決を下した重盛パパ(橋爪功)は「死刑にしていれば、今回の事件(二度目)は起きなかった」と、この判決を後悔していることがわかります。

また、劇中の飼っていた鳥の話。三角は、1羽が病気になり、「もう生きられないから」と5羽を殺し(?)、残り1羽を逃がしました。5羽を埋めた理由に、「今更放たれても行きていけないでしょう」と述べる三角。しかし1羽放っています。これはどういうことか?

埋められた5羽は、「生まれてこなければよかった人間」の比喩なのではないかなと思います。故に殺され、埋められた。そして、放たれた1羽は、「生まれてこなければよかった」はずなのに、温情により死刑を免れ、出所した三角のことなのではないでしょうか。今更生き方もわからず、羽ばたく鳥。

ダラダラ書きましたが、死刑を望んだ理由としては「自分が『生まれてこない方が良かった側の人間』であり、30年前には死ぬことが叶わなかったから」だと、ここでは結論づけたいと思います。

 

・「誰が人を裁くのか」

終盤も終盤、三角の死刑判決が確定したあと、(広瀬すず)は重盛に対し「誰が人を裁くんですか?」と言った趣旨の発言をします。これにはどういった意図があったか?

前述の通り、(広瀬すず)は実父から性的暴行を受けていたようです。直接的な描写がないので断定はできませんが、証言をしたがっていたことや、母親(斉藤由貴)との会話のシーンにて、証言に関して「お父さんのこととか…」と、その事実を示唆するような発言をされていたことからも、恐らく事実です。

三角は、そんな(広瀬すず)を娘と重ねていたようで、2人は家に行ったり、誕生日を祝ったりと仲が良かった様子。

 

中盤、三角は重盛に対して、不思議な力を見せます。衝立で隔てられた面会室にて、衝立越しではありますが手を合わせると、誰も伝えていない「重盛の娘」について言及する三角。この力はこれっきりの登場でしたが、恐らく本当なのでしょう。三角はどうやら「手」から相手の内面をいくらか読み取れる力があるようです。(娘の年齢を細かく知らなかったところなんかで、本当にぼんやりとわかるのかなって感じ)

 

話を戻します。仲の良かった三角と(広瀬すず)は、事件が起こる年の2月(だったはず…)、誕生日である(広瀬すず)を河川敷に積もった雪でバースデーケーキを作り祝います。三角が重盛パパに宛てた手紙によれば、三角が手袋を片方、(広瀬すず)に貸してるんですね。

そこで三角の能力が使われたのではないでしょうか。手袋を返してもらった後、そこから(広瀬すず)が性的暴行受けている事実、もしくは殺意を読み取ったのではないかと、僕は考えます。

広瀬すず)が証言をすると重盛弁護士事務所に来た時も、「どのようにかはわからないが私の殺意が伝わった」と言っています。まあ、この論だとすぐに殺害を決行しなかったのが少し不自然にはなってしまうのですが…。

とにかく、(広瀬すず)からすれば、結果として三角が父を裁いた、ということになります。

しかし、三角は裁判の結果、国に裁かれてしまうこととなります。父を裁いてもらった(広瀬すず)としては腑に落ちない。故の「誰が人を裁くのか」という問いかけなのではないでしょうか。

 

・「一度目」「二度目」「三度目」の法則

かなりこじつけくさい解釈になってまいりました。

さて、「なんで死刑が『殺人』になるの?おかしくない?」と思う人もいるのではないでしょうか。ここでは自分なりに、「なぜ死刑が『三度目の殺人』に当てはまるのか」を説明したいと思います。

まず、僕の中では冒頭に述べたように

一度目→30年前の事件

二度目→今回の事件

三度目→三角の死刑

で理解しています。これらは、全て三角絡みなのは勿論のこと、他にも共通していることがあります。

それは「『生まれてこなければ良かった人間』が裁かれている」ということ。

 

まず一度目です。三角が初めて起こした事件ですね。詳細は忘れてしまいましたが、この地では炭鉱もなくなり、職にあぶれた人がたくさんいたと。そして、その足元をみたヤクザかなんかで人は困っていたと、そんな話があったと思います(違ったらごめんなさい)。三角は、そのヤクザかなんかを殺害、死刑は免れますが、死刑になってもおかしくない罪でありました。

この「一度目」、劇中の「生まれてこなければ良かった人間」というのは、「弱きを挫く」的な人間のことも含まれるのではないかなと。なんにせよ、「三角が『生まれてこなければ良かった人間』を裁いた」事件だといえると思うのです。というかそう仮定してください。じゃないとこの論が進みません。

「二度目」。言わずもがな「三角が(広瀬すず)の実父=『生まれてこなければ良かった人間』を裁いた」事件ですね。産地偽装に性的暴行など数え役満ですね。

さて「三度目」。これだけは「三角が裁いた」わけじゃありません。

事件と無関係な世間的に見れば、三角は人殺しを繰り返す『生まれてこなければ良かった人間』のはずです。30年前に温情で死刑を免れているにもかかわらず、再び殺人を犯し、しかも強盗殺人、裁判の中盤では容疑を一転して否認するような人間です。多くの人間が「なんて身勝手で非道なやつなのだ」と思っても不思議ではありません、むしろ当然です。

故に「国が三角(=生まれてこなければ良かった人間)を裁いた」わけです。

そしてその死刑は、前述のように「裁いてもらった側」からしたら、救世主を殺されるようなものでしょう。故に「殺人」の法則に当てはまるのではないかと。

 

・三角が「生まれてこなければよかった」と思っている理由

最後に、なぜ三角が自らを「生まれてこなければよかった」と思っているか、という個人的解釈をば。

 

この流れで見れば、世間的には「身勝手な人殺し」という印象ですが、彼に触れた者は必ずしもその印象で統一されているわけではありません。

広瀬すず)は救ってもらった側であって彼を救いたいと思っているし、また重盛も思想的には彼と通ずるところがあります。三角の人間性は残虐なわけではなく、むしろアパートの大家さんの証言からだと「穏やかな人間性」が浮かび上がってくると思います。

ではなぜ「生まれてこなければよかった」と思っているのか。

それは、三角自身の中身が「空っぽ」だからなのではないでしょうか。

ラスト、重盛との面会にて「あなたは『器』…?」と問いかけられる三角。また、一度目の事件の時も逮捕した警官が「なんか中身がない」的なことを言っていました。(言っていたはず、、、)

三角には恐らく、生きていく理由や意思がなかったのではないでしょうか。「そんな自分が生きていて、やり残したことがある親や妻は死んだ」という趣旨での「理不尽に死んだ」という発言なのかなと。空っぽで空虚な三角。そんな彼は、自分と同じような「生まれてこなければよかった人間」を裁くための「器」として生きていったのではないかな、と思います。(言語化できたらまたまとめます)

 

 

観終わってからも、考えれば考えるほど深く考察できるので、本当に面白い映画でした。久々に答えがはっきりと明示されない映画を観ましたが、こういうのが醍醐味ですね。

「私はこう考えた」「ここは違うだろ」というものがあればどんどんください。いろんな人と語り合えるのは楽しいです。

ではまた!

 

ついったぁ

今更ながらこのブログとツイッター(@p8p8p8_)を連携しました。ツイッターとの住み分けが難しいかな、と思っていたのですが、ちょっとしたくだらないことだったりとか、記事が更新されたことなどの通知がわかりやすくなるかなと思い、作ってみました。

よろしければフォロー宜しくお願いしまぁす!

 

「君の膵臓をたべたい」を観た話

※8/4、編集しました。

※8/13、再編集しました。

 

いろいろなことから解放されて、逆に予定が入りすぎてなかなか大変ですが楽しいです。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 

そんな予定が詰まってる中、友人と「君の膵臓をたべたい」を観てきました。当方、原作既読なので純粋な初見ではありません。あらすじをある程度把握した状態で観ているため、原作と映画の比較をしながらの感想です。

ようやく読み直しました。お待たせしました(?)

映画のイメージで読んだらキラキラしすぎて、歪みまくった僕の心はその青春を直視できませんでした。1ページ進んでは閉じるの繰り返し。何やってんだお前。あと題名「食べたい」じゃなく「たべたい」でしたね、スミマセン。

 

では感想。ネタバレしまくりぃ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個人的な感想としては、「思ってたよりよかった」ですかねえ。そこまで期待してなかったのですが、予想してたよりは遥かに良かったです。「LA・LA・LAND」と同じパターン。

ただ、原作派か映画派かといわれれば、僕は原作派です。映画2回目はまだ達成できてないんですけど、泣いたのは原作だけだったので。

 

 

 

 

ではまず良かった点から。

・咲良の最期への伏線

映画では最初の方に「最近、付近に通り魔が〜」とさっと話してそのあと、そのことには何にも触れない。原作では章(?)が変わって最初の行に「隣の県で殺人」といった記述でした。

なんにせよこれは伏線なのですが、原作だとちょっと不自然な伏線だったというか、ちょっと唐突で違和感がありました。それだけならまだたぶん読んでる途中で忘れる可能性は大いにあったのですが、途中で再び話題に上がっていたことで、大きな違和感というか、「ああこれ伏線なんだな」となんとなく察してしまったというか…。

その点、映画でも近場というのは変わらなかったと思うのですが、序盤にサラッと触れる程度でしたし、原作では戻って読み返せますけど少なくともシアターでは巻き戻せないわけですから、原作よりかはうまく機能したのではないかなと。けど、上映が終了したあと、隣のカップルが「最初新聞で通り魔の話出てきたときはまさかな〜と思ったけどな〜」と会話していたので、やはり映画から入ったという人も違和感は感じたのかも。

 

・少年少女たちの配役

やはり小説や漫画の実写化が実現するのって、出版社が儲かrゲフンゲフン

…漫画はともかく、小説の実写化ってハマればハマるものだと思ってます。頭の中のイメージと合致するかどうか、あとは原作に改変を加えてそれが吉と出るか凶と出るか。

良かった点は前者。そもそもぼくは原作を読んだ時、登場人物のビジュアルが明確にイメージできませんでした。

少なくとも僕は原作の桜良は表紙からロングだと思ってた模様。

その点、映画はピタッと役がハマってたと思います。我関せずとした、冷静な志賀役の北村匠海さんや、天真爛漫でありながら、志賀にだけみせる不安がある桜良役の浜辺美波さん。この2人は本当にいい配役でした。九州へ行った時のホテルのシーンとか、病室が個室に移り、そこに志賀が忍び込んできた時のシーンとか、ラストの「泣いていいですか」とか、お二方ともグッ!とこさせる演技でした。(何様)

恭子役の大友花恋さんも気が強い感じがハマってましたね。ガムくれる役の矢本悠馬さんはちょっとイメージと違ってたけど、全然あり。

でもやはり、浜辺美波さんの演技がすごかった。普段は志賀を振り回し、雰囲気全開な天真爛漫さ、「やりたいことリスト」を消化してる時の本当に楽しそうな感じ、と思えば2人の時に醸し出す不安さなど、原作を超えた「桜良」になったのではないかなと。

結局何が言いたいかって、浜辺美波さんが尊い尊い…!!

 

 

 

続いて僕が「原作派」という点。

これは一点です。

・改変

前述したように、原作との改変というのは吉と出るか凶と出るか。博打です。

成功例。例えば2006年版の映画「デスノート」なんかは割と綺麗に畳めたという印象があります。派生で「L change the world」なんかも出来ましたし。

桐島、部活やめるってよ」も多少の改変はありましたが、よりリアルさが出てたと思います。

で、失敗例。

鴨川ホルモー」「プリンセス・トヨトミ」。この2作は本当に謎。大失敗といってもいい。原作はすごく好きなのですが、要らない改変(だとぼくは思ってます)のせいで映画は駄作に…。

上2点ほどではないですが、「るろうに剣心」もツッコまれてるところがあったりしますよね。1作目の斎藤一江口洋介さん)の牙突とか(まああれは改変というか実写の限界というか)。

るろ剣は1作目がそれなり、2作目もまあまあ、3作目が「…」て感じでしたかね…。宇水あんな雑魚キャラじゃないよ…。

ベラベラ他の映画についても語ってしまいましたが、ともかく何が言いたいかって、原作を知ってる人にとっては、原作で完成されているわけで、そこをいじる改変というのは、結構なハードルであるということです。

その点、映画「君の膵臓を食べたい」は「悪い改変」だったとぼくは思います。

ぼくは「原作は伏線がわかりやすい!」と前述しましたが、それは粗探しのようなもの。原作は好きですし、話の流れの完成度は高いと思っています。

映画は、その流れを壊している。

この話は「桜良が死ぬ前の志賀との青春(?)」と同時に、「志賀と桜良の交流による成長」も重要で、志賀は彼女と交流することで彼女に憧れ、原作では彼女の死後、共病文庫に遺された志賀へのメッセージで彼女の想いがわかる。そして「高校生のうちに」恭子やガムくんと友人になるというのがオチ。しっかりと彼女の魂を受け継いでいるんですよ。「君の膵臓を食べたい」という意味が死んでおらず、彼が成長しているのです。

ですが映画では、死後12年経ってようやく彼女の想いの真実を知り、ガムくんと結婚する直前の恭子にようやく「友達になってください」と伝える…。

いやいやいやいやいやいやいや。

おかしくないですか?あんた「君の膵臓を食べたい」てメールで打ってたやんけ!憧れてたんじゃないのか!?!?

いくら「宝探しだ」つって桜良が手紙を隠したとしてもだよ!!!!いやその伏線自体は張れてたけどその宝探し自体時間軸の引き延ばしのために使われたとしか思えないよ!!!!!!!!

少年少女たちの配役で雰囲気完璧だったのに、そこに小栗旬北川景子(と上地雄輔)を使いたかったがために時間軸を延ばしたとしか思えないです。

重要なのは「桜良からいい影響を受けて、彼女のいない世界を生きていく志賀」なのに、12年間お前何してたんすかぁ!?!?!?とツッコまざるを得ないオチになってしまった…と個人的には思います。

 

 

 

総評として、「概ね良し」です。

時間軸の引き延ばしや、それに伴うラストの改変など納得いかない点はありますが、メインである高校時代の配役や雰囲気は本当に素晴らしいものだと思います。個人的には、雰囲気が完璧すぎてマイナス点が霞んでると言っても過言ではないかなと。

 

映画のイメージで原作読んだら胸がキュンキュンしすぎて、眩しすぎました。読むのクソ時間かかった。

今後の浜辺美波さんに注目したい(尊い

世の中は「ヒーロー」を求めてる

僕のヒーローアカデミア」が今一番キテる漫画だと思う。

人類がそれぞれに「個性」と呼ばれる超能力を持つようになった時代に、無個性の主人公が最高のヒーローを目指すというストーリー。

一言で言えば「熱い」。僕は「強靭な肉体でブッ放していく」ていう能力とかがものすごく好きなんですが、主人公と、彼が憧れているヒーローがまさしくそのタイプです。かっけぇ。アイアンマンよりキャプテン・アメリカ派。

まあそんなことはどうでもよくて、ちょっと思ったことをば。

 

上記の「ヒロアカ」や、出てくる敵を圧倒的強さで悉くワンパンチで倒していく「ワンパンマン」など、ヒーローが活躍するような漫画が最近すごく人気な傾向にあると思う。アメコミ系の映画だって(ぼくが知らないだけでずっと前から爆発的人気なのかもしれないが)最近すごく多い気がする。「アベンジャーズ」「デッドプール」「Dr.ストレンジ」とか。(「スパイダーマン」とかも2000年前半とかで大人気だった記憶はあるけど、、、それは置いとく)

政治的な面で言えば、過激な発言で度々物議をかもすトランプ氏がアメリカ大統領になったり、日本では安倍さん支持者と反対派の主張がそれぞれ強かったりと、「なんらかの行動を起こした人(起こしそうな人)」に対する評価が極端に二分している気がする。それはきっと、良くも悪くも「何かが変わるかもしれない」という予感があってのことであろう。

いま、世の中の傾向として、少なくとも日本においては「閉塞感」があると思う。

景気は悪く、少子化が進み、しかし女性の働き方やブラック企業など、今後に対する希望がかなり薄い。この現状を変えてくれる「ヒーロー」の登場を、たぶんみんなが待ち望んでる。

だから良くも悪くも行動力があったり、はっきりとした主張をする人に対して「この人なら何かを変えてくれるのではないか」という期待が膨らむ。

しかし、重要なのは「待ってるだけじゃ何も変わらない」ということ。若者の選挙離れが大きく取り沙汰されている現代において、現状をブチ破り、世の中を引っ張っていくに足る人物を期待するのは難しい。今こそ現状を見据えた、主体的な行動を起こせる「若者」が必要なのではないか。

 

 

 

 

 

まとめんのへたくそ。

では!

驚き桃の木樹木希林

公開直後の話題作の感想って結構引っかかるのかな、PV数が400超えた。ビビった。

そもそも頻繁に更新するようなブログじゃないし、今のところ書いてるのって映画の感想とかぐらいですけど、この先もっといろんな思ってること書けたらなと思ってはいます、ハイ

 

 

 

先日、「あん」を観た。

周りの人から「観て欲しい」と言われていて、せっかくだからTSUTAYAで借りたのですが、これは当たりでした。詳細は言わないけど、世間の怖さというものを痛感したかな。結構切ない映画ですが、考えさせられます。オススメ。

で、レビューで結構目にしたのが「樹木希林さんの凄さ」。高い評価も低い評価も樹木希林さんに言及してて、良くも悪くも「彼女の演技で構成された映画」という旨が書かれていた。

僕は演技を、学校での学芸会的なものだとか、友達とふざけた会話してる時ぐらいでしかしたことがないズブの素人なのですが、そんな僕でも「彼女の演技はすごい」ってことは分かりました。

出演してる他の俳優さんたちの演技が下手って言いたいわけじゃないんですよ。永瀬正敏さんはなにかしらの過去を背負った雰囲気出てたし。ただ、樹木希林さんのそれは次元が違うというか、その演技だけで役の背景を感じ取らせる力があるというか。冒頭で樹木希林さんが桜並木を歩くシーンがあるんですけど、そこでの演技だけで涙がでたんですよね。涙腺ゆるいって言われればそれまでなんですけど、そのシーンから出てる雰囲気だけでもう切ないんですよ。

映画とかドラマって、その役を「100%役で観る」って結構難しいと思うんですよ。意識の端っこでは「この俳優かっこいいなぁ〜〜」とか、「いまちょっと噛んだ?」てのがあると思うんです。でも、この「あん」の樹木希林さんはそういうのを感じさせなかった。「徳江さんはどんな人生を歩んできたんだろう」ということを常に感じさせるような雰囲気を絶えず出していて、それが少しわかった時の彼女の心情を考えるともう形容し難い悲しみがね…。

「世間の無理解に押しつぶされることもある」的なセリフが出てくるシーンがあるんですが、この映画はそれが全てな気がしますね。誰も悪くないのに、逆らえない大きな流れができてしまう。

いろいろ考えさせられますね。

「22年目の告白 私が殺人犯です」を観た話

先週、2人の友人と遊んできた。

行きたいランチの店があるというのでそこで昼ごはんを食べ、どうするかとなった。そしたら3人ともこの映画が気になっていたので観に行くことにした。

近場の上映場所探して、チケットを買ってしまおうと思ったら次の回まで1時間半とかあるのに、もう満席。話題作の公開初日ってすごいね。なめてた(笑)

ちょっと遠出して観てきたけど、いやぁすごい。

この作品、ちょっと語るだけでネタバレになりかねないと思うので、まだ観てない人は注意してこの記事読んでね。このブログ読んでる人がどれくらいいるのか知らんけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もともと僕は「どんでん返し」が大好きで、ネットで検索してその系統のDVD借りて観てたりしたんだけど、気になる作品はあらかた観ちゃったんだよね。(もちろん観てないのもあるので、ホントに映画好きな人に言ったら「全部観てから言え!」て怒られる)

で、「オチが読めない」てのがすごくワクワクする。

あくまで例えだけど、ヒーロー戦隊モノとか恋愛映画とか、観る前から「大体こうなるだろうな」って予測がつくじゃないですか。そういうのがないモノにまず興味を惹かれる。

この作品はまさにそんな感じで、予告の時点で設定は面白そうだしオチは読めないし藤原竜也だし話題もすごいし藤原竜也だし藤原竜也だし。かなり気になってた。

いざ観始めると、「予告のように」殺人犯を逃した刑事と、突如として告白本を出版した殺人犯。彼の行動は社会的旋風を巻き起こしーーーー。

て感じ。「こっからどうなるんだろうなー」と観てたら途中から視点がガラッと変わった。

「曽根崎は真の殺人犯ではない」。これはまぁ「そういう可能性もあるだろうな」と違和感は感じてた、てか感じさせられてた。で、告白本を書いたのは「牧村刑事」。ほあああああああ!?となった。

曽根崎は実は牧村妹と婚約してた人で、2人は犯人を探し出すためにやったのがこの出版騒動だという。

 

いやービビったわ。そこで牧村刑事が訪れてた病院長との会話とか、とにかくそこで視点が一気に変わる。こういう視点ガラッと系はたまんないすわぁ。

 

あとは最初「仲村トオルかっけぇなぁ」とか思ってたらとんでもないサイコ野郎(理由はあるんだけれども)でおおおおおおおってなったね。終盤、曽根崎ともみ合うシーンはすごく化け物じみた生命力と強さだったけど、まぁ設定崩壊はしてないからセーフかな、という感じ。

思い返すと「んん??」と思うことも無くはないけど(曽根崎≠犯人ってことは被害者遺族みんなにつたえときゃよかったんじゃ?とか)それを差し引いても良くできた作品だったかなと。期待以上に満足しました。

あとは曽根崎旋風が巻き起こった世間の怖さかなぁ…。別の映画もついさっきみて、それでもより身近な世間の怖さを感じたんだけど、それはまた別記事で。需要あるのかは知らんが自己満です。

 

そんな感じ!今月は毎週末予定があって忙しいけど楽しいです。がんばるぞぉ

そしてバイト探さなきゃ…

サラバ!

好きな空気

ここ数日間、なんだか秋らしい天気が続いております。ぼくはあまり春が好きじゃないのですが、今年の春はなんだか爽やかな日が続いていてたまらないですね

 

うーん、何か書けそうだ

とりあえず手頃なマシンがほしい!