脳内垂れ流し能書き

アタマの中の一部分

「神を信じれば救われる」?

お久しぶりです。

映画観に行ったりレンタルで借りたりして書き溜めてる記事とかあるんですけど忙しさやらなんやらで全然書けてません。書けよ。

また気ままに書いていこうと思うので存在が謎な読者の方々、よろしくお願いします。

タイトル見てもらえれば一目瞭然なんですけど、今回の記事は宗教的なことについて触れますので、その辺ご了承ください。特定の団体や、個人について書いたものではなく、傷つける意図もございません。

 

 

 

 

 

 

 

いつからだったか、「神」という存在について疑問に思うようになった。

別に家族や僕には宗教とあまり縁がなく、祖父が由緒ある宗教の信者だったぐらい。

元々物心ついたころから「神」という概念についてなんとなく理解はしていたけれど、存在しているかについては懐疑的だった、と思う。しかしながら腹痛の時やクラス替えの時などは、夜に布団の中で存在するかどうかもわからない「神」に都合のいいことを願っていたことをよく覚えている。

そんな「神」について疑問に思ったきっかけは覚えていないけれど、恐らくこのような謳い文句だった気がする。

「神を信じれば救われます!」

宗教問題とかすごくデリケートだしネットとか公の場で言うことではないのだろうけど、僕は新興宗教が苦手だ。信じるのは個人の自由なので全く問題ないのだが、「勧誘」というイメージが強い。そして僕は昔からすこし歪んでいた子供(だったよう)で、動画サイトで「某放送局撃退!」「架空請求業者撃退!」「家に来た勧誘撃退!」みたいな動画を見るような子供だった。

そもそも、「神を信じれば救われる」って、なんで信じない者は救われないのだろうか?「慈悲深い」というイメージがある神にしては、不寛容な気がする。まあ「救う」て単語が出てくるぐらいだから少なからず危機的状況なのだろうし、某世紀末漫画に出てくる悪役のような人間は救うに値しないだろうし、ある程度のふるいにかける、という意図は汲み取れる。

のだが。

逆によほど善良なことをしてきた人間が、神を信じなかっただけで救われないというのも腑に落ちない。それとも「善良な人間ならば必ず私を信じるはず」という論なのか?それも暴論だと思うが。

で。前述した「神を信じれば救われる」というのは、表現方法としてはちょっと間違っているのではないかなと。

「神を信じなければ救ってくれない」。

この方が本質を捉えていると思うんですよね。

そもそも僕は無神論者なんですが、仮に神がいるとするならば、「神は他人の不幸を笑って楽しむタイプ」だと思ってます。故に、陸上選手が足を奪われたり、配偶者と子供を残して病気で早くに亡くなってしまったり、といった出来事が起こるんじゃないかなと。

僕の好きな某漫画も「思い上がらぬよう、人に正しい絶望を与えるのが真理」だと言ってますしね。

「なぜ神はこんな酷いことをするのか」と考えるより、「神はそういう存在だ」と受け入れる方がダメージは少なくて済むんじゃないか、と思った話です。

 

 

 

 

Line newsの小林麻耶さんの記事を見て思ったことを少々。

冒頭でも書きましたが特定の団体や個人について書いたわけではなく、また誹謗中傷の意図も、信教の自由を否定しているわけでもありません。ご了承ください。

 

お腹空いたんで晩飯買ってきます。